
先週に引き続き五本木愛さんのインタビュー後編としてお届けします。前編では五本木家の末娘さんの障がいがわかり受容するまでの気持ちの揺れをはじめ、sukasuka-ippoという法人を立ち上げるまでの山あり谷ありのお話をお聞きしました。後編では、一時預かり保育所やインクルーシブ学童保育所についてお話いただきました。一つひとつの事業を突き動かしてきた、障がいのある子を育てる母たちの切実な思い。後編もどうぞご一読ください。

障がい児のお母さんを助けるための一時預かり保育。
—私自身、保育士として保育園で就労経験もあり、今は診断はされていないけれど…なグレーのお子さんが多いと感じています。残念ながら現場は発達障がい児への理解がイマイチ浅いと感じることも多いのですが。
私は幼稚園協会にも講演に行きます。そうしたお子さんとの関わり方、保護者の対応の仕方を話しますが、授業や本でいろいろ学ばれていますし、知ろうとしていると思う。何がその子と、親にとって一番大事かというと、この子をかわいいと思ってくれるかなんです。どんなに先生の言い方がキツクても、その子への愛情が伝われば親は攻撃的にはならない。一緒に大変だけどやっていこう、という心が通じれば、それが何よりです。親も子も、先生が「面倒な子だ。厄介な子だ」と思えば、それは通じてしまう。
—そうですね。枠の中に嵌めようとする考え方が、まず違うと思う。五本木さんのような方にレクチャーをしていただけるといいですね。保育園は生活の場なので毎日が修羅場。ぜひ幼稚園だけでなく保育園でも講演を。
今、うちは一時預かり保育もやっていますが、障がい児もたくさんきます。障がい児を受け入れたくて始めた事業です。お母さんがどれだけいっぱいいっぱいかを自分たちの実感としてわかっている。ちょっと預けたいという時に預け先がなくて、障がい児は絶対ダメと言われてきた。身内のお爺ちゃんお婆ちゃんに預けるにしても、育てにくさはわかっているので預けられない。申し訳ない、厳しいよねって。そうなるとワンオペになって、お母さんたちは潰れてしまう。
横須賀市の児童相談所は年間600件ほど虐待通報がある。大体200人ほど緊急保護されます。その子たちを調べたら、2割程度発達障がいがあるというデータを見て、そうだろうなと。そういう育てにくい子を育ててきているからわかる。特性があって難しいことがある。育ちもゆっくりとわかって育てるのと、何も知らずに周りの子と成長を比べたり、偏食が激しい、夜眠らない、お風呂に入れるのも大変などなど。ワンオぺで繰り返していたら、お母さんだってキーってなる。だから、お母さんが今日はイライラして無理だからナーサリーに連れて行こう。ちょっと見てもらって自分の時間を作ることができたら、もしかすると、先の2割程度の子は、そこへ行く前に何とかなるかもしれない。そんな思いもあって、一時預かりは障がい児もOKでスタートしました。
—素晴らしいです。私も児相で働いていたことがあるのでよくわかります。
とはいえ、障がい児の親は「本当に大丈夫?」と思う。どこへ行っても頭を下げる子育てをずっとしている。申し訳ありません、すみません、うちの子がって。だから簡単に預けられても、また怒られるのなら自分が我慢して見ていたほうがいいと思いがち。なので、これだけ門戸を開いても最初はなかなか来なかった。今はクチコミで結構な人数が利用されています。
—一時預かりは何年やっていらっしゃる?
2019年に始めたので7年目です。当初は認可外でスタート。ニーズもあって、横須賀に足りないことも把握していたので、自治体の担当課に「ここがないと困るご家庭がこれだけあるから認可にしてほしい」と頼むと市も動いてくれた。横須賀市では初の公的一時預かり保育所として、2021年にリニューアルオープン。実際に自閉症や発達障がいのお子さん、赤ちゃんから未就学児の3人を育てるお母さんがいらして。玄関先で「3人障がいがありますがいいですか?」と聞いてきた。「全然大丈夫です。3人お預かりしますよ」と返すと、その場でわぁーと泣き崩れて「少し寝たいんです。一人でゆっくり寝たい」と。切羽詰まって、そこまでギリギリになってから連れてくる。そういうお母さんもここを知ってくれたら、今月は2回くらい預けようかな、と余裕をもって考えられて子育てに対する気持ちの負担が変わる。そういう所が必要だと思って作った場所です。自分たちがそういう場所がほしかったのです。
—定員は何名ですか?
マックス24人です。2時間いる子、1時間で帰る子もいます。待機児童の受け入れもしています。一時預かりは年間延べ3300人ほどの利用者です。
—すごい人数ですね。わざわざ久里浜まで来るお子さんもいらっしゃるわけですね。一時預かりは、ニーズを計れないと受け入れ態勢も整えられない。どうやっていらっしゃるのかな?と。
立地もありますね。駅前に作ったので。自分が子育てしていた時に、駅からすごく離れたところに園があって、車もなかったりしたら、雨の日なんて行きたくても行けない。だから雨にぬれずに済むとか、ちょっとの距離で済むとかでないと無理だなと思って。うちの利用者が多かったので市が公的一時預かり保育所を2か所作った。市役所の裏と、逸見のウェルシティに。でも全然ニーズはないということで。やはり立地は重要だと思います。うちは保育士も常勤が4名、パートさんが6名ほどいます。緊急性が高ければ当日受付もします。今は予約システムを導入しているので、常勤は4名体制ほどで対応しています。




障がいにかかわらず共に育つインクルーシブ学童保育。
—学童誕生の経緯についてお聞かせください。
2018年4月に開所し9年目です。開所申請は遡って2017年夏に。2017年11月テレワークの事業を始め、同時進行で学童も進めました。そもそもなぜ学童にしたか。自分たちの子が小学校にあがり、放課後の居場所が必要だったからです。当時、放課後デイサービスが破竹の勢いで開所されて。小学校は支援級と普通級と分かれ、幼稚園のように両方行き来できず、線引きを感じた。この子たちが放課後も放課後デイサービスで過ごすとしたら、障がい児は障がい児だけで過ごすことになる。まったく交われないことに違和感を覚えた。
—なるほど。確かに分けられるとそうなってしまう。
この準備をしていた2017年、相模原障がい者施設殺傷事件がありました。私たちは当事者として、その事件をニュースで見て衝撃を受けましたし、やまゆりに献花も行きました。すごい山奥で、山越え谷越えを繰り返したどん詰まり。場所にもショックを受けました。新事実があると連日報道され、植松死刑囚が「重度の障がい者は生産性がないからこの世に不要」という優勢思想に衝撃を受けましたが、もっとショックだったのはTwitterにそれを肯定する書き込みがたくさんあったこと「事件は仕方なかった」「障がいの重い人は自分たちの税金で生きているわけだから人数は整理するべき」など、批判でなく肯定意見が多数あった。それをニュースで見て、愕然とした。
—恐ろしい事件でした。肯定するなんて許せない。
世の中、どうなってるの?とippoのメンバーと話し合った。書き込みをした人を見つけて、あなたの考えは違うよといったところで何も変わらない。そもそもどうしてそんな感情を抱けるのか? やはり障がい者は当たり前に存在しないとダメだと。隣に当たり前に存在していたら。友達として一緒に育ってきたら。その子が大人になった時、「おまえ障がいが重いから要らないな」とは絶対思わないはず。
だからこそ子どもの頃から、一緒に過ごせる場所が必要。小学1年生から6年生は人格形成に関わる大切な時期。そのときに経験しているかどうかは大人になってからの捉え方がまったく異なる。私たちは放課後の場所を単体として捉えるのでなく、障がいのある子もない子も一緒に心を育てる場所を作ろうと。そのためには学童という場でないと、両方を受け入れられない。じゃあインクルーシブということを謳い文句にして、障がいのある子もない子も一緒に過ごす場所、ということにしました。
—一語一句漏らさずに書き留めたい理念です。
9年目になりますが、いろんなことがありました。支援員も障がい児が大変過ぎて不平を言う人もいた。だけど、そうじゃない。一緒に過ごすってそういうことじゃない。障がい児を特別扱いしてほしいわけでない。子どもは皆一緒なのだから等しくでいい。何度も職員とも話し合いをもちました。今は圧倒的に発達障がいの子が多い。共に過ごすとはどういうことか。今それをはき違えている職員はいませんし、職員だけでなくアルバイトやボランティアにも必ずお話しをします。ここで大事にしているいくつかのことは覚えてくださいと。
基本的に子どもに関わる大人が、障がいのあるなしの線引きを絶対にしないこと。場面切り取りの保育は絶対にしないこと。いろんな子がいるとトラブルが必ず起きます。障がいのある子が健常児を叩いている場面に遭遇した時、「叩いたらダメでしょ!」というのが一般的な保育ですが、障がい児は何か理由があって叩いたわけです。言葉で表現できないモヤモヤがあって手が出たり、汚い言葉が出たりする。だから「どうしたの?」と聞いてあげることが鉄則。話を聞いた大人が言語化して、わかるように伝えるのが仕事です。
そして、子どもと関わる時は本気で遊んでください、ということ。保護者には、いろんな子がうちにはいるのでトラブルはあります。4月5月は特に。どうしても今の保育では発達の子も多いので、トラブルを回避する方法を立てますが、うちは逆です。トラブルは起きるのが当然。そもそも子どもって小さければ尚更、自分と違う人には嫌悪感を抱いて「この子ヤダ。怖い。気持ち悪い」となるもの。それは片方だけでなく双方思っている。そうやって思っている者同士が生活をする場所で、関わらざるを得ない。すると必ずトラブルになる。
一緒に育ち合うから身につく、想像力と思いやり。
—トラブルがないように、事故を未然に防ぐことばかり考えてしまいがちですが、まず「トラブルは当然起こる」という前提が素晴らしいですね。
トラブルは相手を知るきっかけになる。うちはトラブル回避するのではなく、トラブルから相手を知れる、と捉えています。手が出ると支援員の大人が間に入るけれども、トラブルは起きるものですと先にお伝えしています。帰宅してから、おもちゃを取られたとか、嫌なことをされたとか言うかもしれない。でも、半年後1年後にその子とどういう関係性になっているかを待っていてほしい。長い目で見ていてほしいというのをお願いしています。なので、トラブルに関する苦情というのはありません。そういうものと伝えているので。
—とても共感します。本来、保育現場はそういう哲学のはずが、今は親のクレームが怖くてかなかなかそうできていない。
ここに通ったうちの娘を例にすると、発語がないから言葉のコミュニケーションはない。彼女が3年生の時、新1年生とトラブルがあった。1年生の女の子がぎゃあっと泣いていて支援員が入ろうとしたら、2年程うちの娘と一緒に生活してきた年上のお姉ちゃんがパッと入って1年生に「どうしたの?」と聞くと、怒りながら「うららちゃんが私のおもちゃを取ったの。返してといったら返してくれたけど、ごめんねって謝ってくれない」と。間に入ったお姉ちゃんは、立ちすくむ娘と1年生の子を見比べて「ねえ、〇〇ちゃん。よく見て。うららちゃんさっきからこうしているのわかる?これ、謝っているんだよ」と伝えたら、1年生の子は仕草を見て「それ、うららちゃんのごめんねなの?」と聞いて娘は、うんうんとうなずいた。じゃあいいよって。トラブルは解決したものの、実は大切なのはこの先。この子は耳からの情報だけでなく、目からも情報を得ようとするようになります。仕草や指差し。今こういう気持ちかな?と考える力が身に付きます。
—想像力を働かせることができるようになる。
そう、だからコミュニケーションが成立する。娘が卒所する時、6年生一人だけだったので、うららのお母さんとしてお話しするねと前置きして、うららは他のデイサービスにも通っていたけれど、ここが一番大好きだった。朝、今日はキッズだよというとガッツポーズをしていた。そのくらい此処が好きだった。楽しかったんだね。みんなと遊ぶことが楽しかったんだ。みんながうららと分け隔てなく一緒に遊んでくれていたから。だから感謝している。うららはしゃべれないから何を思っているかわからなくて困っているって子、どのくらいいる?と聞くと、誰も手を挙げなかった。私のことを鼻で笑いながら「うららのこと、わかんない奴いないだろう」「わかりやすいよ、何言ってるの?あいちゃん」って。だから、そうだよね。だけどさ、これは実はすごいことよ。今日この話をしたことを覚えていてほしい。大人になった時に、あれは当たり前じゃなかったと気づく時が必ず来ると思うから忘れないで。そう伝えました。
—このエピソードを聞いただけで、いい学童だってわかります。
子どもは喧嘩もするしトラブルもある。定形の子は特に想像して話すとか、思いやって話すとかが当たり前に身につく。そういう環境下で一緒に育ち合わないと。そういう子たちを育てたくて作った場所です。自分と違うのはダメなことではない。いろんな人がいるということを学齢期に学べる。それは大きな成果だと思う。
今6事業運営していますが、キッズはうちの事業の要です。社会を変えていくために。ここで子どもの育ちを根本から見直し、心豊かな子を育て、いろんな子たちが社会に巣立っていく。ここは本当に大事な場所と思っています。
—社会を変えていくため。志を受けとめました。ほか2事業についてお願いします。
美容室。私の実妹がやっていますが、障がい者の子のヘアカット。結構な人数が来ています。ここでずっと施術するのが目標ではなく、ここを卒業して他で切れることが目標。
そして学習支援。中学生対象で、日本財団の助成を受けて入念に準備をしました。勉強にすごく苦手意識が合って自己肯定感が低い子。そういう子が来るところとして始めた。ところが高校生になっても来ていい?となって、2年位前からは小学生もみてほしいとなって、今では小中高の学習支援の場となりました。
—末っ子のうららちゃんによって幸せな人を増やしているのが素晴らしいですね。
いろんなところでお話しますが、うららがいなかったら私はこういうことにはならなかった。すごいのは彼女で、私ではない。彼女が生まれた意味、命の尊さを何とか証明したかった。私は彼女が生きている証の手となり足となり、です。
—ありがとうございました。


※掲載したsukasuka-ippoの画像は許諾をいただいて掲載しております。

今回は前編・後編に分けてのスペシャル版としてお届けしました。取材から公開まで、私の都合でこれまでで一番お待たせしてしまったにもかかわらず、寛容にお待ち頂き感謝でした。当事者の母たちが結束して新しい道を切り拓き、自分たちがほしい居場所をいくつも創出された熱い思い。そのパワーと志に圧倒されました。また近いうちにお邪魔させて頂きます。(2026年1月取材・執筆/マザールあべみちこ)
\\ 取材の一部を音源データでご紹介します //





