
MOYOMOYO AFRICA代表
野坂由紀子さん
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1958年、東京都生まれ。開発コンサルタント会社で夫・治朗氏と出会い結婚・退職。妊娠7カ月で夫のケニア赴任に同行し現地で長女を出産。その後長男が生まれ、ケニア・タンザニア・ザンビア・ウガンダで30年近いアフリカ生活を送る。現地ではアフリカ女性のテイラーさん達との交友が始まり、彼女達を支援する活動としてMOYOMOYO AFRICAというブランドを設立。最後の駐在地であったウガンダに長女夫婦が3歳の孫を連れてやって来て1年2か月同居、その間に長女夫婦と共にMOYOMOYO AFRICAの活動を本格化させた。2022年に帰国し葉山に居を構えた後も現地女性テイラーさん達の自立支援やアフリカ布の魅力を発信することを目的とした活動を展開している。
筆者にはたまに降ってくる奇跡がある。11月の初日も何かに引き寄せられるように逗子駅前の神社イベントにお邪魔したのだが、そこで偶然見つけたMOYOMOYO AFRICA。MOYOはスワヒリ語で「心」。MOYOMOYOとつなげて『心と心のつながり』を表すそうだ。カラフルで目を引くだけでなく、パワーを感じる絵柄と佇まい。丁寧な縫製で作られたバッグや服、小物たち。葉山で暮らす代表の野坂由紀子さんに、ブランドの成り立ちやアフリカ女性への想いを聞いてみた。


お金ではなく仕事が欲しい、という現地女性のために。
—MOYOMOYOのアイテムに惹かれ、パッと衝動買いしました。貧しいアフリカ女性の経済的支援という意味で手仕事を託し、商品に価値を生んで販売されています。「ものづくり」や「表現の場」について、今日はお話伺えるの楽しみにしてきました。
私自身は物づくりが苦手ですが、夫の治朗は器用で昔から折り紙を趣味にしています。帰国後は独学でミシンを覚え、モヨモヨのハシビロコウの縫いぐるみやオーダーメイド日傘も彼が手掛けています。彼の仕事は国際協力機構(JICA)の技術協力専門家で、アフリカでは大学教育や農業省のアドバイザーなどに従事してきました。もともとは開発コンサルタントでアフリカだけでなくアジアや中近東でも仕事をしていましたが、家族で一緒に過ごせる時間が取り難い業務形態であったことから、家族一緒に赴任できる技術協力専門家に転身しました。
—30年もの期間をアフリカで暮らされたのは長いですよね。しかも広大なアフリカを移動しながら?
ケニアに3回行って15年、タンザニア4年、ザンビア3年、ウガンダに7年弱。滞在した各地の人達は見た目が似ていても、それぞれ違うカルチャーと背景を持っていて、同じ問いかけをしても反応はそれぞれ違って、とても面白かったです。
—言葉は何語でコミュニケーションを?
私たちが駐在した東アフリカの国々は、どこもイギリスの植民地でしたので英語が公用語になっています。ただし、タンザニアでは日常生活言語はスワヒリ語でした。
—現地の普通の人と比較すると、とても豊かな暮らしをされていたと思いますが、貧しいアフリカ女性を支援されるきっかけは何だったのでしょう?
子ども達と一緒に生活していた時は、子ども達を無事に育てることが何よりの優先事項でした。2回目のケニア赴任時には、ナイロビ日本人学校の校長先生が校門前で銃撃に倒れた悲しい事件がありましたし、所属先から外出・行動について厳しく規制され自由に動け回れない時期もありました。そんな中でも家の中では現地のお手伝いさん達にたくさん子育てを手伝ってもらい、彼女らの文化背景、抱える問題点等をたくさん見せてもらいました。
当時大きな支援活動に参加したりしませんでしたが、お手伝いさん達には日本料理、お菓子作りをたくさん伝授して、その後の彼女らの転職のお手伝いが出来たことは、彼女らへの細やかな恩返しとなったと思っています。各国でのお手伝いさん達との交流は、私の今のアフリカ女性支援の原点となったと思います。彼女たちとの数々の思い出は私の人生の宝物でもあります。
子ども達が手許を離れてからは、時間も気持ちにも余裕が出来て、もともと大好きなアフリカ生地の面白さに夢中になり、現地のテイラーさんにお願いして洋服や小物に仕立ててもらうことにハマってしまいました。
—-加工して作ってもらうにあたって、どなたかとの出会いがあった?
まず、ケニアでリリアンという一人の女性と出会いました。彼女はキベラ・スラムというサブサハラアフリカ最大規模のスラム出身です。トイレもない、お風呂なんかまったくないし、フライングトイレットと呼ばれる「ビニール袋に用を足して外に放り投げる」ようなことが珍しくない世界で、プライバシーなんてまったくない生活。そこで育ったリリアンは若い時に両親を亡くし、18人の弟や妹を育て上げた人です。

立場の弱い女性たちが経済的に自立することの難しさ。
—18人ですか?それはどういうきょうだい構成で????
多分同じお母さんではないのだと思いますが、ごみを拾ってお金にしたり、1日1回の給食サービスを貰い、食べさせて行くことなどで18人の弟妹たちを養ったようです。その後リリアンはYMCAでミシンを習う機会があり、素晴らしいテイラー技術を習得します。そこから、弟妹たちの学費工面のために走り回って成功していく経験談や、彼女の将来の夢の話はとても興味深くて、彼女と会って話が出来ることが私の楽しみとなっていきました。
—ものすごいパワーで家族を養い、人生を切り拓いてきたストーリー。なかなか真似できませんね。
「お腹がすくと眠れなくなるってどんなことかわかりますか?」とリリアンに聞かれた時の私のショックは今も忘れられません。「私は乞食ではない。お金がほしいわけでなく、仕事がほしいのです」と熱く語る彼女は素晴らしい人で、できるだけ仕事をあげたいと思ったのが始まりです。彼女は他の日本人とも関係があって、皆から色々アドバイスを貰い技術がどんどん向上していきました。自分のテイラー技術による収入や投資家を探すことで、最終的に18人の弟妹たちの多くを大学まで行かせました。彼女のすごいところは弟妹たちを育て上げたことに留まりません。1999年にキベラ・スラムの自宅の一室で、自分たちと同じような境遇の子どもたちのための寺子屋を始め、その後たくさんの賛同者の助けもあって今では生徒数500人を超える学校を作り上げました。スーパーレディとしか言いようがありません。
—素晴らしい!学校まで創立されたんですね。
リリアンは弟妹たちを大学まで行かせてから、自分の息子2人も大学へ行かせました。でもケニアは政治が悪いせいもあって、大学を出ても就職先がない人がたくさんいます。アフリカは基本的に男尊女卑の傾向が強く、特に貧困層の女性が自立することは難しい状況にありますが、私はリリアンと出会い、逞しくも素敵なアフリカの女性がいることを知りました。最後の赴任地のウガンダでもリリアン同様、自立のために頑張っている女性たちとの出会いがありました。フローレンスとロイスという女性のテイラーさん達です。
—パネルにもなっているこちらの方々ですね。身近にいらっしゃるアフリカ女性の壮絶な人生をお聞かせいただきましたが、そういう意味でも経済的自立を支援する意味は大きいですね。
大きな組織への支援は、どこに行ってしまうかわからないところがありますが、直接の顔の見える支援は我々の気持ちを豊かにすると共に元気を与えてくれます。


制作好きな夫と義理の息子に支えられ。
—お子さん達は既にご家庭をもっていらっしゃる?由紀子さんはアフリカで子育てをされた?
娘は40年前にケニアで生まれ、3歳違いの息子は日本に帰国して出産しました。幸いなことに彼らもアフリカでの子ども時代がとても楽しく、その後の人生に大きなインパクトを与えてくれたと感謝してくれています。
—お仕事はアフリカに関係していたり、デザイン関係だったりしますか?
娘は外資系コンサルタントで働いていましたが、今は娘婿と一緒に独立して主に教育関係のコンサルタントをしています。息子は大学を卒業してから外資系銀行に勤めていましたが、ある時方向転換したいと言い出し、3年程「国境なき医師団」で働きました。タンザニア、ケニアのインターナショナルスクールで多文化の友人たちに囲まれて生活していたことがとても楽しかったようです。そんな経験が国境なき医師団での活動を後押ししてくれたのだと思います。今は日本で就職して家庭を持っていますが、いつか又国境なき医師団に戻りたいと狙っているようです。
—おもしろいですね。そういう人生での職業体験は貴重な指針になりますね。
それともう一つ。娘婿がいろいろ器用に作る人です。2018年、娘夫婦が3歳の孫を連れてウガンダに家族で1年2か月程滞在していたことがあります。当時、夫婦とも外資系のコンサルタント会社勤務で仕事が忙しく、子育てとの両立が大変そうでした。それで二人とも仕事をいったん辞めて生活をリセットし、ウガンダで子育てをしてみたいと言い出しました。
ウガンダで何をするのかな?と思っていたら、娘婿が私のミシンを使って縫物を始めました。3歳の息子はウガンダに着いてすぐ近くのインターナショナルスクールの幼稚園に放り込まれましたが、言葉も通じず友達がいないため、熊のぬいぐるみを作ってあげたのです。そのテディベアが思わぬほど好評で、ならばフローレンス達の工房で彼女たちに教えてみては?となりました。その他、娘夫婦が色んな製品のアイデアを出してくれ、それらを彼女たちに作らせてみたところ意外と良い製品が出来上がりました。
—すごい。素晴らしい連携ですし、器用ですね。義理の息子さんも。
それらの製品はウガンダにある日本料理屋さんに置いてもらい売れるようになりました。その利益でフローレンス達の工房に電気を引きましたし、工房拡充の費用を捻出することも出来ました。MOYOMOYOブランドとして今の形に作り上げられたのは娘夫婦の力が大きかったと思います。
私たちが日本に本帰国するにあたり、この活動をどうするかで悩みましたが、長く過ごしたアフリカや彼女たちと繋がっていたいという思いから、葉山に建てた家の一室をアトリエにし、ケニアのリリアン、そしてウガンダのフローレンスとロイスが製作した作品を販売することにしました。基本的に、毎週金曜日と土曜日にお店をオープンしており、葉山周辺のマルシェ等へも出展しています。
まだまだ利益を出すところまでは行っていませんが、今後も彼女たちの自立を後押しするための活動を続けていくつもりです。来年2月には久しぶりにウガンダを訪問し、今後の展開に向けた意見交換をする予定です。
—ありがとうございました!




オシャレで上品な邸宅の一角にあるアトリエ。葉山の豊かさを象徴している一方で、30年もアフリカで過ごされてきた時間を宝物に換えた野坂ご夫妻。素敵なアイテムの背景に潜む、素晴らしいドラマの数々。活字にはできないさまざまなストーリーに胸撃ち抜かれました。アフリカ女性の底力を享受しつつ、購入したサコッシュを毎日愛用しています。また贈り物を見つけにアトリエにも伺います!
(2025年11月取材・執筆/マザールあべみちこ)
\\ 取材の一部を音源データでご紹介します //





