
NPO法人むすびぃと
代表理事・池井将さん
1992年生まれ。横浜市で小学3年生まで過ごし関西へ転校。関西学院大学社会学部卒業後タウンニュース入社。横須賀市担当となり記者として従事。心臓に難病を抱えるこどもの海外渡航移植基金を集める「しずくちゃんを救う会」を立ち上げ活動。世界のこども達や教育に触れるため、世界一周。しらかばこども園学童クラブで施設長として勤務。その後独立し、NPO法人むずびぃと代表理事に就任。放課後の居場所「ぬくもり」、不登校のこどもたちの居場所「ミライのたいよう」、学童保育「よりみち」やほか体験事業を運営する。
ある会合で熱意溢れる池井さんのプレゼンを聞いて、この原動力はなんだろう?知りたい!と思い今回コンタクトさせていただきました。地元密着型のフリーペーパー「タウンニュース」で営業職を兼ねた記者職を経験。その後、こどもに携わる活動にシフトされたという池井さん。3月に訪問したミライエ取材でもニアミスをしていたとか。若い!と感じたのも当然で姪っ子と同世代。もう30代が前面に出てくる時代なんだわ……と少々焦りながら、だからこそ一緒に何かできるのでは?と期待を込めての取材となりました。



キャンプのカレー作りに失敗し、目覚めた自立心。
—タウンニュースの記者をされていたのですね?
小3まで横浜市で過ごし大阪へ。大学卒業まで関西で過ごし、就職の配属先が横須賀市に。各土地でちょうど10年ずつ暮らし、今春で横須賀は11年目。タウンニュースの記者を3年勤めました。大学時代はスポーツクラブのコーチ、児童館、児童養護施設、家庭教師など子どもに関わる活動をひと通り。専攻は社会学部でしたが、子どもの成長に寄与できることにやりがいを感じ、楽しいと思った。
僕はもともと自分中心に物事を考えていたタイプ。他人に嫌なことはしないけれど、常に自分の都合を優先するようなところがあった。例えば合唱コンクールとかあっても自分がやりたくなければ参加しないスタンスを取るとか。野球をやっていて大学でも野球をやるつもりでしたが、膝の怪我をして入院。その時に病院で看護師さんや医学療法士さんが親身になってくれたことが大きな転機に。たぶん20代前半とかで少し年上くらいの方々でしたが、自分と年の近い人が人のために熱意をもって仕事にあたる姿に感銘した。それで膝が治ってから彼らのように人のためにと。ボランティア活動をするようになった。
—なるほど。就活は就職難の時代で?
2015年入社は、すごく大変な感じではなかった時代だったような。子どもに携わる仕事がしたかったのですが、そのためには幅広く色んなことを社会で知っておいたほうがいいと思った。大学時代の活動で子どもをキャンプに連れていくことがあって、僕がリーダー、4~5人の子を引率。キャンプの定番カレーの作り方すら知らなくてカレールーを炒めたりして。おいしくなるはずが結構まずいカレーになってしまった。それで、親や友達に頼ってしまう癖もあったので、自分の成長のために、誰も何も知らない土地で一人で暮らしてみようと。
新聞記者は仕事を通じていろんな所に行っていろんな人の話を聞ける。いろいろ知って成長したい僕にとってはその仕事がいいなとマスコミを志望。タウンニュースはエリア限定ですが、業界に捉われず、いろいろなことが知れるのが魅力でした。記者とはいえ営業もしないとならず。いろんなことを吸収する時間を作りたかった。最初に内定が出たタウンニュースに決めました。神奈川県の中で何かの縁から横須賀に決まった。横浜市旭区の赴任ならまた全然違う展開になっていたかもしれません。
—記者として勤務されてから今の活動につながったのは何がきっかけでした?
しずくちゃんの救う会というのを立ち上げたのです。僕が横須賀に単身来てからお世話になった方がいて、家族ぐるみで仲良くしていた。その方の当時小学2年生だった娘さんが重い心臓病を患ってしまい。日本では心臓移植の技術や制度が整っておらず、待っている間に時間が無くなる。アメリカだと医療の整備や進歩もあって早くできるけれど保険がまったくきかない。ICUに一泊泊まると180万請求がくるほど高額。心臓移植だともっと高額になって3億ほど必要だということで。過去に何度か募金活動をして資金を集めて渡米して助かった子がいた事例があり、募金で助かるならやってみようと。イメージよりも早く辞めることになったのですがタウンニュースを退社して、しずくちゃんを救う会として動き始めました。
—クラファンとかして資金を集められた?
いえいえ。街頭での募金活動をはじめ企業などにも協力してもらい横須賀中駆け回って、半年で3億円集めました。今なら引き受けていなかったかもしれませんが、その時は24歳で若かった(笑)。こういう活動を良く思わない人も中にはいますし、そう簡単に3億円は集まらない。草の根的に集めた。最初の募金活動を京急久里浜駅でやって、ちょうどペリー祭があった時で3時間もやらなかったのに50万くらい集まってびっくりした。しずくちゃんの手術は無事成功して今、高校に入学するくらいの年齢になって元気にしています。
—しずくちゃんの活動がきっかけになって今の活動にシフトを?
人生プランの中で予定外ではありましたが、それを経て子どもに携わる仕事をしようと思い学童保育所の職員に転じました。40人規模の学童は平均的で50,60名規模の所もあります。待機児童の解消としてそれは大切なことですが、放課後を過ごすことに目を向けると結構考えることが多くて。畳一帖で一人分、八帖なら8人が定員のカウントになります。公園行くにしても近所迷惑になったり、ひとり一人みると色んな放課後の過ごし方がある。大人数が苦手な子、高学年になると学童を窮屈に感じる子もいて、環境的に難ししさを感じる場面もあった。既存の学童を否定しているわけでなく、放課後の居場所の選択肢があっても良いのではと思って今の活動になった。学校もオルタナティブスクールや通信制などいろいろ選択できるようになったので、放課後の学童もそうあっても良いのかなと。少人数で一人ひとりの気持ちを大事にする場所をつくりたいと思って、4年前に始めました。


高学年×少人数の放課後の居場所をつくろう。
—2022年4月から「ぬくもり」をスタートされたということですが、コロナ禍で?
ミライエを拠点に放課後の居場所「ぬくもり」を始めました。今年2月からNPO運営にして、現在10数人の子どもたちが来ています。3年経って15家庭は支えてこられましたが、運営するためにはもう少し収入源になるような事業が必要で、公郷で4月から「よりみち」という学童保育を始めました。そちらは主に信頼できるスタッフに任せています。「ぬくもり」には主に根岸近隣の子どもたちが来ています。月・水の午前中は学校に行っていない子が「ミライのたいよう」という居場所に、遠方からも通ってこられます。この不登校児の居場所はNPO法人むすびぃとと一般社団法人ミライエが連携して運営をしています。試行錯誤しながら取り組んでいます。
—子どもの教育・保育を考えることと、そこに携わる労働者のよりよい環境は残念ながら比例していませんよね。型に嵌らない一人として、ないものは自分でつくるしかない!と感じています。
幼稚園を例にすると園内の恒例行事に力をいれていて、地域との連携はあまりないそうです。そこをサポートできるように地域とのイベントを企画コーディネートしています。幼稚園を中心に、こども施設の体験企画の提案ですね。園の要望や、受け入れ側の条件などを調整しながら多様な企画をプロデュースしています。自治体からの補助金もありますので。ロールモデルを確立したい。
—こういう地域との連携は学校ともっとできるといいのに。横須賀市は不登校・ひきもりが全国No.1なのに連携する姿勢が必要ですね。
学校の総合学習とかで。知り合いの先生と一緒にアイデア出しに協力したりしますが、聞くと年間で掛けられる費用が数万円だとか。そちらを仕事にするのは難しいなと。僕は居場所づくりがやりたいことの一つですが、それだけでは事業として成立できない。それで学童保育も始めたところです。採算は正直言ってまだ合っていません。学校内にある学童が満員で入れない状況だから、他にも学童を作ってほしいというニーズがあった。市や他学童の話から15名くらいは集まると思いましたが、色々な事情が重なり、今7名。市の事情で委託を受けて運営しているところもあるのに、こちらで赤字を抱えて運営しないとならない現状。難しいところですが、それでもこの来てくれた子どもたちを大切にしたいなとは思います。
—難しいものですね。その7名のお子さんを預かってどういうことが一番ウリの学童「よりみち」でしょう?
ひとつは、自分が声をかけて経験のあるスタッフが保育にあたってくれていることです。どちらの方も長く学童保育の仕事をしていて、僕はこの方々のスキルや人柄、子どもや人生観に惹かれてお声がけさせてもらいました。「ぬくもり」にも顔なじみのスタッフがいて、こどもが安心して自分らしく過ごせるように心がけています。学校終わりから19時半まで。月から土まで放課後に過ごせる居場所に1か月15,000円(1人あたり)です。大体それが相場です。
—池井さんより年上のお二人をスカウトして引き抜かれて、その手腕はいったい?(笑)。
わからないですけど(笑)。お二人ともちょうど、学童を離れて一休みをされていた。それでNPO法人として学童保育以外のことも取り組んだり、「立ち上げる」のがおもしろいと思ってくださったのか、そのあたりに共感して手伝ってくれていると思っています。
逆風も向きを変えれば風向きは変わる。
—いろいろ取り組まれていて素晴らしい。今の教育に必要なことって何だと思われますか?
教育を語るのは難しいですね~。うーん。座右の銘は講演の時に二つ言っています。「向かい風は向きを変えれば追い風になる」というのと「転んだ人を笑ってはいけない。その人は歩こうとしたのだ」という言葉です。誰がいったことかわかりませんが。僕は、こういう場を運営しているからというのもありますが、ゆとりは大切にしています。ゆとり世代だからかもしれませんが(笑)。

—どんぴしゃ!ゆとり教育の世代ですよね。今の子どもたちにゆとりはない?
子どもたちは今「受」になっていると感じます。毎日6時間授業があって、そのあと部活動や習い事があって。その後、ご飯や風呂、明日の準備とやることがてんこもりで、全部組み込まれていて自分から行動する時間がとても少ない。何か次の予定を待っている感じ。YouTubeのショート動画にしても受け。自分から遊びを見つけたりするのって、結構大切かなと思いつつ、それが物理的に少なくなっているかなぁと感じます。暇になるとゲームして、YouTubeみるだけではなく、自分で楽しみを見つけられることも大事な事かなと。いろんなことを知っていることも大切で、それは大人が環境を用意することでできる事かもしれません。そうすることで、色んな視野を持ったり、価値観を持つようになって他者受容もできるようになるのではと。
—そうですね。横須賀市は不登校引きこもりがダントツで多いのは何でだと思います?
僕も答えは持っていなくて、そもそも何が正解かわからないので、あまり自分の考えは何にしても押し付けないようにしています。大人が体験の機会を提示しても何かを教えることはしていなくて、それをどう感じるのかは子ども次第。教育って何かを教えるという意味で僕は苦手です。不登校に関して言うと、ずっと家にいるというのは孤立化してしまうなとは思いました。
ここを作った時に相談しにこられた方が単身家庭で、上は小学校へ行かない。下は保育園行かないと悩んでいらした。子どもが小さいからお母さんは仕事へ行けない、収入は無くなる、という負のスパイラルに陥っていた。「ここで命を救われた」と今では語ってくれていますが、正解はないスタンスの僕でもさすがに聞いた当時、これは違うんじゃないかと感じた。
家以外に社会とつながる場として「ミライのたいよう」がある。そこで心身の回復ができて、ここに来る子と友達関係を築けたり、お母さんは働きに出られたり。それに関しては悪いことではない。でもまあ、そこまでかな。その先は僕もまだ探り中です。学校に戻る子もいれば、ここで過ごす時間が長くなる子もいれば、塾へ行って本格的に勉強を始める子もいる。それはもう個々の家庭やその子どもたちのそれぞれの判断ですかね。
—私は、もっと親が怒っていいと思っているんです。体験からしか言えないけれど。それぞれの価値基準で子どもと対峙されていると思いますが、やっぱり家にずっといさせるのは勿体ない。学校がダメならば、そこじゃない社会とつながっていってほしい。子育てはとても短い期間なんです。巣立たせるために親はいる。いつまでもママにご飯作ってもらったらダメなんです。その子が〇の数をどれだけ多くもらうかじゃなくて、巣立たせるための道筋をつくるのが親の役目。
僕はどっちかというと親の誘導に乗っかってしまった。反抗期はありましたが親が言うことは絶対でした。親と議論もしてこなかったし、自分で考える力は失われていた。子どもが自分で決めていく力、考えていく力が大切だと思っています。結構その時の心のコンディションとかで言ってしまう言葉とか、親でもありますよね。余裕がないとそうなってしまう。32歳が若いかどうかともかく、まだ家族はいないのですし、横須賀が僕の最終地とは限らない。通過点かもしれないし、出発点かも。でも始めたばかりの今は、とにかくここでがんばってやっていきます!
—ありがとうございました。

お若くて優秀な池井さん。早口ではありますが胸いっぱいに熱量をお持ちで、話の端々にほとばしるエネルギーを感じました。最初からうまくいくビジネスなんて何もない。あきらめずに地道に自分の信じる道を歩き続けていくしかないのです。この先、何か一緒にやっていきましょうね。横須賀通過点かもですが(笑)。
(2025年4月取材・執筆/マザールあべみちこ)
\\ 取材の一部を音源データでご紹介します //





