みんキチVol.35│生前葬はバトンタッチのセレモニー。人が集まる人社をつくろう。

医師(内科・リウマチ科・認知症サポート医)
千場純(ちば・じゅん)
社会福祉法人心の会『まちの診療所つるがおか」名誉院長。1949年横浜市生まれ。名古屋大学医学部卒。横浜市立大学第一内科、パシフィック・ホスピタル院長などを経て2001年から旧三輪医院副院長、2010年から院長、2015年に社会福祉法人化。2021年に『まちの診療所つるがおか』に改名称して2026年4月より現職。これまでに在宅医療の現場で1000人以上の患者の最期を看取ってきた。2015年には診療所近くに地域住民の交流と啓発の場「みんなあつまるしろいにじの家」をオープンし、交流サークル「しろいにじの会」、最盛期には29に及ぶ持ち寄り活動ほか、ミニコンサートやまち塾(研修会)開催などで賑わった。また、2016年より「横須賀の2040年問題を考える会」主宰。2019年からは市民協働推進事業「よこすか人社プロジェクト」の委託を受けて、保健医療福祉分野からのプロボノ活動が介入するまちづくりとして「まちの保健室」にも取り組んでいる。

リウマチ専門医であり、終末期医療のエキスパートでもある千場先生。横須賀に移転した私に「横須賀にいるなら千場先生にぜひ会って」と知り合いを通じて紹介されたのが昨秋のこと。テレビ番組でも特集されたこの街では有名な医師。白衣を着ずに診療するスタイルもユニーク。何よりも志が高く、一貫して人のために貢献する。巡り巡って5月にようやくご縁を頂き、直後からさまざまなワークショップや講演などイベントに参加し、地域の人とつながる力を知ることに。医師として働く一方でされてきた取り組みについて、これからの街づくりとは?を聞いた。

価値観をつくることから始める。

—千場先生はお医者さんですが、「横須賀の顔」とお聞きしています。いろんなイベントも手掛けられていますが、簡単にご経歴などもお聞きしてよろしいですか?

横須賀にきたのは昭和63年、平成元年です。横浜市立大学の医局人事で、当時の国立横須賀病院へ赴任。8年間勤務しました。父方の祖父は大阪で医者をしていましたが、当時では珍しい産業医で存命中に会った頃には引退していました。母が国立横浜病院の院長秘書として働いていた影響もあって、かつては連続してしょうこう熱、ジフテリアなど感染症で入院し、また(仮病や)ケガも多かった病弱の幼少期には医師が傍にいた環境でした。医者になったのは親に勧められた(本当は農芸化学に興味があったところ、“それは医者になってからでもできるじゃない?と言いくるめられた)からであり、それならばと「半農半医」を理想。僻地への赴任も考えた。そうはいっても家族や職場とのしがらみや親の看取りなどもあって断念。

普通の医者の取るべき進路に入り、やがてパシフィックホスピタル院長になってからは急性期医療からシフトして5年間、在宅医療に力を注ぎました。CureよりCare~患者さんの病状管理はもちろんですが。生活を支えるには他業種多職種との連携が必要であることを実感。そんななか、平成10年から介護保険制度が制定され、ますます関連多職種の連携が求められたのです。

—医師でいらっしゃる上で、在宅医療に尽力されています。これはいつから?

今思うとその端緒はとある男性患者との出会いです。
かつて大学病院で受け持った筋ジストロフィーの患者さんは深夜帯(睡眠中)の人工呼吸器の使用が必要でしたが、正月三が日の自宅外泊を切望されたのです。それを可能にする機材や制度は当時全くありませんでしたから。当然無理……と返事をするところですが、ふと思いついたのは、それならば人の手で胸郭を押して呼吸補助をすればどうだろう?と。

幸い、その患者さんの支援のため既に集まっていた学生ボランティア(20人くらい)のなかから有志を募り、一人30分間交代。両手で患者さんの胸郭をゆっくりと押して、スッと放す手動の呼吸補助方法を短期特訓。結果、なんとか正月三が日を凌いだ…。そう、やればできる!

在宅医療が全く無かった時代でも、「どうしても家に帰りたい!」との患者さんの願いは、こうしてみんなの力を合わせて叶ったのです。そんなエピソードが思い出されます。

—アナログな方法で願いが叶ったのですね。ところでイベントもたくさんされていますよね?

医療機関はとても閉鎖的。困って訪れる患者さんをただ待っているだけでいい場所か?そんな疑問から、診療所主催でのイベントをするようになりました。患者さんたちの手作りや大切にしていた作品などを集めての文化祭やマルシェ、時には障害がある方たちの作業所で育てた野菜販売など…ね。

横須賀に限らず、どこでもそうでしょうが、珍しかったり、面白いからと人が集まる。とくに食べ物には人が集まりやすい。でも、単なる人寄せイベントでは、ただ集まり、また散っての繰り返しで根付くものがない。イベントの成功には、物販、食事、そして楽しいパフォーマンスなどのエンタメ性が欠かせない。その価値はそれにとどまらず、普段は遭遇しない大切なことを教えてくれる専門職の方をお呼びしたり、そのときの何気ない会話から引き出せる困りごとの相談ができたりするところかな…。

—私は横浜で通用していたことが横須賀で通用しないことにビックリしていて。時代もあるかもですが有料のイベントにハードルを感じています。

そこにあるハードルはその土地に暮らす人のイベントに対する価値観の違いですかね。たとえば“横須賀のあたりまえ”は公的なものや福祉的なイベントは無料が前提。お節介と思いやりの力でいっとき善意が集まっても、それを繰り返し行ったり、長く続けることはできません。ならば、有料でも参加したくなる企画(イベント)を作ることから始める。それが無料(~せいぜい500円)だから来るのか、それとも1000円だと来ないのか?ならば、500円でもいいから、とにかく大勢が集まりやすいイベンを企画して、そのついでに知って欲しいことを伝え、困っていることを相談できる立ち寄り処(入口)を作るのです。そのなかで次のステップまでガイドしながらイベントへ参加する価値観をつくるところから始めないとならない。

—ワンコインで間口を広げて、価値観を構築することから育てないとならない。時間が掛かりますね。

一つひとつの団体や個人でやっていたら目立たないし、続かない。同じ団体が10回同じことを言っても意味がないものも、10の違う団体が各々で言えば意味が出てくるでしょう。地域活動をしている人もやがて年を取るし、モチベーションも下がる。同じことを繰り返さないために何をやるかは一人で考えるのではなくチームで考える。それぞれの団体をゆるくつなげることで、次の世代につなげられるのでは、というのが「横須賀人社(ジンジャ)プロジェクト」です。自由参加ですし、会社に入るわけではないんですけれど。

—-仕事は人とのつながりがすべてといってもいいくらいです。ただ、横須賀は新しい人や新しいコトに対して拒絶感がある。そこを何とか変えていきたい。

変えたいけれど、変わらなくてもいいよ、というスタンスも大事。いい企画をどう広めるかは工夫次第。一人でやらなくていいでしょう、グループ志向で。一つひとつ成功しなくても全体で、どこかで成功すればいい。人に託すことが大切。人同士、ウマがあうかどうかのマッチングが大切ですね。気の合う仲間かどうか、とにかく一度一緒にやってみないとわからない。トライ&エラーです。(特に横須賀~三浦半島では)それぞれがつながっていないようでどこかでつながっていることも往々にしてある。自分のやりたいことができれば満足…だけじゃなく、それぞれが意識しながら協働するチームワーク(連帯感)がないと意味がない。有機的な何かが残るような。単発ではなく連続して、協働的にやっていきたい。

次の人へバトンを渡すことを意識して

—76歳の千場先生が考えている街づくりの構想をお聞かせください。

この先、超高齢者人口だけではなくて、その割合が増えてくるときの遭遇するのが多死社会です。街のあちこちで、あるいは家族の誰かが死に瀕している時代が来ます。つまり死に向き合いながら暮らさざるを得ないときに、大切になるのが死生観の啓発です。私たちは死ぬことが凶…ではなく、自然であり、ときには救いで、完結であることをもっと認識すべきです。話は飛びますが、例えば「生前葬」に意味合いを持たせたいと思っています。死んでからではわからない自分の葬式を自ら企画することの意味を皆さんなら、どのように考えますか?

わたしのように、75歳を過ぎたら後期高齢者は社会のお荷物(笑)。生前葬をして、自分は終わるまえに、次の世代にバトンタッチをする儀式にしたい。いわば「社会葬」と呼んでいい。

それから、医者は患者に対して上下関係をつくりやすい。だから白衣を着ない医者をモットーにして地域医療に取り組んできました。さらに平成22年から診療所に併設して地域の集まり処を作りました。一階にはスープランチを提供できるカフェと、思い思いの趣味を持ち寄れるワーキングスペース、二階には暮らしの健康や人生の素養が勉強できるまち塾や音楽会などができる場所「レインボウルーム」。そんな『しろいにじの家』は6年間運営しました。そこに横須賀市内の29サークルが集まった。

—そうしたご経験から今の街づくりにつながっている?

今度の10月10日(土)には上町商店連合会の“うわまつり”で「まちの保健室」をやります。そこには高齢者、障碍者、子育て中の人に来もてもらえるような企画をブッキング中です。普段できないような体験型のブースやワークショップなどを楽しみながら話す時間がいいと思う。物を買うだけでなく、何かのきっかけになる体験。一回こっきりで終わるのではなく継続して開催するとリピーターもできる。大きなイベントではなく小さなイベントを何度も、あちこちでする。そういうのが横須賀には必要だと思う。

—この春からマザールと横須賀市の協業で「みんなのKICHI」が始まりましたが、私にとってこれはゴールではなく、あくまでも通過点。イベント好きでやりたい人がいるなら委託したいくらいです(笑)。

だからイベントで苦労するより誰かがやっているイベントに乗っかるほうがいいと思う。マッチングができれば。今度一緒にやってみませんか?

—そうですね。イベントは有料でないと継続できないし、助成金の関係で初年度は無料のものもあれば材料費のみ徴収もあります。無料に依存するとスタッフは疲弊するし、企画も萎縮します。

そういうことです。関係者で10人20人集まると、顔ぶれは同じだけどそういうものかな?となります。それだと拡大しませんよね。少人数の仲良しグループで地道にやれば続く。でも経験から言うと、地道にやれば地道のまま終わるものです。

まあ、イベントを核にしたいわけでなければ、誰かに頼むほうがいい。僕自身そうで、あちこちつなぎながら全体を見る立場。ストーリーはないから自分で組み立てるしかない。これから葉山方面で展開するのは有料イベントです。土地柄、響く人も多いと思いますので。最終的にはそこだけで終わらないことが課題。分業的にうまく組み合わせができれば一番いい。ただそれには相性があるから、人だけ寄せ集めてもしょうがない。グループ指向で取り組み、一つひとつが成功しなくても全体として繋がったときに成功であったという結果を得られたらいい。

「よこすか人社プロジェクト」で街を元気に。

—では最後に千場先生が起ち上げられた「よこすか人社プロジェクト」について、改めてお聞かせください。これからいくつかの予定などあればそれも。

その昔、人間社会の形成が未熟だったころ、日本人は集住すると同時に自然信仰の拠り所として神社を作り、鎮守の森を育てました。しかし現代ではそこに神が宿ると信じ得る人も少なくなり、気が付くと年末年始や祭礼の時しか目立たない神社が、それでも必ずと言っていいくらい街には存在しています。そんなところから、「これからは神ではなくそこに人が集まる人社を作り、鎮守の杜の様にそこを護る人(杜の人)を作ろう」というコンセプトが「人社プロジェクト」です。

2016年に結成した「横須賀の2040年を考える会」の活動の一環として、2019年から昨年度まで、この「よこすか人社プロジェクト」提案し、市民協働推進事業として(コロナで中断の2か年を含む)3年度にわたって取り組んできました。初年度は暮らしの中で社会資源を探し、助け合い活動を推進しました。2年度目はコロナ蔓延のさなかでもあり、孤立に備え、それを防ぐ「食の宅配と御用聞き」、3世代交流のきっかけを作る「17歳と70歳の交流の場づくり」「としえのWebマガジンづくりやファッションショー」「認知症にやさしい街をつくるための市民大学講座」などやりました。

そして昨年度は「絵本バスジンジャー号」での絵本マルシェや、認知症の方々と街に歴史を辿る「メモリーガイドツアー」、上町で開催したカーニヴァル風フリマとマルシェの「うわまチック天国+まちの保健室」です。そこでは保健医療や福祉介護の専門職の有志、その他の関連業者がその職能や特性を生かしたボランティア活動(プロボノ)にいそしみました。公認心理療法士の方のプロボノ活動で「あなたらしさを探す屋台」というブースも出ていましたよ。

そうやって多くのプロボノの皆さんが折に触れ、場所を変え各自の都合にあわせて作る「まちの保健室」活動です。これからの街にあって当たり前の存在となるように、市内各地で展開できたらいいなと思っているところです。乞うご期待!

—自分の経験や価値をいかして、人がつながっていく発想はとても共感します。横須賀移転して1年半の私も、「人社プロジェクト」に参加します!実はもう構想はあります。これまで山あり谷ありでしたが素晴らしいご縁を頂けたことは私の財産でもある。

女性の50,60,70代までの20年間は一番充実する年代だと思います。これまで不遇のことがあっても、これからは大丈夫では。

—そうでありたいと思いますが、目の前のことを片付けなくては!でずっときていたので。

目の前のことをやってくれる人にお願いして自分はまとめに入ったほうがいいと思う。みんな年を取るから、次の人へ託す方がいい。

—ありがとうございました。


千場先生とご縁を頂いてから3つほどお招きいただいたイベントやワークショップに参加させて頂きました。横須賀に馴染めずモヤモヤを抱えていることも率直にお話ししたところ、大変心強いアドバイスを頂けて感謝です。6人でいっぱいになる小さなスペース、絵本バスジンジャー号にて取材を行い、このスペースにもきっと縁があります!リリースの日を心待ちに❤(2026年6月取材・執筆/マザールあべみちこ)

取材の一部を音源データでご紹介します