みんキチVol.34│他者と向き合うことで成長する過程。人間関係にフォーカスした作品。

監督・撮影・編集
早川嗣(はやかわ・ゆずる)
「聴く隣人のいるところ」公式HP  

1987年滋賀県生まれ。愛真高校16期生。和光大学卒業後、東京ビジュアルアーツ映画学科に進学。在学中にトリウッドスタジオプロジェクトで中編映画『金星』(2011)の脚本・監督を務める。テレビニュースの技術職を経て2018年3月から写真家・映画監督の本橋成一が主宰するポレポレタイムス社に勤務。本橋監督の記録映像『人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか』(2020)の撮影・編集・配給。岡野晃子監督のドキュメンタリー映画『手でふれてみる世界』(2022)の編集・配給。

爆発的なエネルギーを抱える10代後半は、剥き出しの感情でぶつかり合う世代。筆者はスマホもインターネットもなかった昭和の高校時代を過ごし、今なら恥ずかしいと思うことでも、「そうせざるを得ない」日々であったことを振り返る。令和に生きる彼らを一つの作品に昇華した映画が今回ご紹介する作品。6月6日よりポレポレ東中野他、全国順次公開の映画『聴く隣人のいるところ』というドキュメンタリー。監督の早川嗣さんは、この映画の舞台、島根県の愛真高校OB。なぜ母校を撮ることにしたのか?何をテーマにしたかったか?を聞いてみた。

撮りたかったのは、あの言語化できない空気感。

—映画おもしろかったです。脂ギッシュな16.7.8歳は素が剥き出しでぶつかっている。才能豊かな原石という感じで、個々が放つエネルギーがキラキラしていた。演技なしでカッコつけない素顔を拾っていらして、生徒の歌のうまさにもビリビリきました。愛真高校ってユニークな学校ですね。

僕も愛真高校で先輩にギターを教えてもらいました。中学時代は、僕の生真面目な性格もあって、同級生と合わないことも多く馴染み切れませんでした。

山形県に内村鑑三の流れを継ぐ歴史ある無教会派の学校があって、その姉妹校が開校16年目(当時)で島根にあるのをたまたま両親が知ったのです。実家が滋賀県なので、雪国の山形か海のある島根の二択で、行くなら海かな~くらいの気持ちで愛真高校へ進学しました。

—14.5歳くらいで、そんなふうに内省して考えられるのは大人でしたね。愛真はクリスチャンの方が大半ですか?どんな試験でした?

僕の時は、信仰のある生徒は2割程度と記憶しています。1学年28名定員で始まった学校ですが生徒数がだんだん減って、僕の期は一学年14名。入試ではもっとたくさん受けていた印象でしたが、とにかく先生方がものすごく時間を掛けて合否判定をするらしいです。食事を始め、生活すべてが生徒のマンパワーにかかっているので、何かの基準で落とすと言うよりも、本当に此処に来る理由は何か?を明確にさせられる感じがありました。

—高校時代をランク付けされずに自由に過ごすのは責任と表裏一体。愛真は労働が根底にあって、日常生活を皆で支え合っている上での学校生活。親元を離れて集団生活をするというのが素晴らしい。自我のぶつかり合いは当たり前の世代。そこに密着してカメラを回したのは、どんな心持ちからで?

20年ぶりに母校へ行った時、その場の空気に言語化できないものを感じました。それが言語化できていれば自分の日記に書いて終わったと思いますが、それができなかった。いろんな表現行為がありますが、映像は言葉の行間のような存在だと思っていて。全校で34人という生徒数で、なくなるかもしれない予測もありました。それでも創立から40年間いろんな時期を経て、独特な人間関係ができている。これを記録したい、という思いから始まりました。

その人間関係を映像化して、学校を知らない方が観て意味のあることなのかはわからなかったです。生徒も信頼している人の前だからこそ話しているものなので、映画にする意味がなければ彼らの日常を晒すだけになってしまいます。ただ、息子の将来の選択肢にこういう学校が残っていてくれたらうれしいなと思った。他人と否応がなく向き合わないとならないこの環境があることを残したいなと思いました。

—厳しい集団生活の中で身につくことも多いでしょうね。クラブ活動はどうなっているんでしょう?

クラブ活動はありませんが作業班があります。映画では養鶏班が出てきましたが、その他に製パン班、園芸班、水田山林班、修繕班などいろいろあってどれかに所属します。下水も自分たちで浄化槽に持っていかなくてはならない。全部井戸水ですから、洗濯にしても洗剤とか使うと自分たちの身体に直結しています。ベースラインが自分たちの手感覚と続いている。否応なしに地に足が着いた生活になってくる。めちゃくちゃ不便ですけど。


説明的にせず、人間関係を見つめる。

—この時代にスマホやインターネットを遮断して暮らすって余程の意思がないと続かないと思います。映画に登場した生徒からの感想はいかがでした?

本当はもっとドロドロしていたし、本当はもっと楽しいこともあったよと学校内でも話し合われたようですが、早川さん目線でいい感じの真ん中を描いてくれた、と。生徒さんも観る人によっておもしろい・おもしろくないはあると思います。説明を排していますし。でも、僕の撮ったものに嘘はないと応えてくれました。

—脚色がないし変にいじくって編集をしたわけでなく上手にネタを拾っているなぁという印象です。素材が素敵だというのはあるかもしれませんが。だからおもしろかった。

ありがとうございます。最初に作ったものは「学校紹介ビデオっぽい」と言われました。こういうことをやっている学校だから、こういう人間関係だよ、というような。映像で説明を始めるとすべて説明的になる。でも僕が撮りたい人間関係は、説明的な2時間では収まらなかった。そこに気づかされて、1年半編集してきたものを3日で再編集して仕上げました。他者にとって意味があるかの確信はありませんでした。でもそれを共同プロデューサーの大槻さんから、生徒が生きてたと評価してもらえました。

—なるほど。監督にとって初めてのドキュメンタリー映画ですか?

ドキュメンタリー映画は初めてですが、15年前に専門学校の時に撮った作品があります。大槻さんは専門学校の講師として知り合い、大槻さんの運営していた映画館で作品を上映するというコンペのようなプロジェクトに参加しました。1時間くらいの『金星』という中編映画でした。その後、報道の仕事を30歳頃まで経験し、その後、本橋成一という写真家のもとでアシスタントをしながら、彼の作品やスペースの管理をしていました。なので、今回の作品は本格的デビュー作。最初で最後かもしれませんが。

—脚本がある映画よりドキュメンタリーを撮りたい?

ドキュメンタリーも劇映画も本質的には一緒だと思っていて。やりたいことがあって、それをテキストから人間を用意して目的に達するのが劇映画。ドキュメンタリーはサンプリングのような。現実を切り取って目的まで達成する。素材が違うだけで目的は一緒だと思います。今回は母校でのインスピレーションから始まったので、ドキュメンタリーにしない理由はなかったです。

容赦なく変化を求められ、成長する。

—今、不登校がとても多い。学校がすべてじゃないし、学校に問題を感じてNO!を突き付けられる子がいてもいい。でも家に閉じ籠っているだけでは何も変えられない。人はぶつかり合って理解できることも多い。16,7,8歳の頃って一番わけのわからないパワーがあって言語化できない怒りもある。前段長くなりましたが、監督にとって不登校は、どんな意味合いがありますか?

愛真高校を撮った立場から言えば、愛真にも不登校だった子が入学してくることもあります。「積極的不登校」という言葉を先生が言っていたのが印象的で、馴染めないから引き籠るのではなく、周りの人よりやる気があり過ぎて浮いてしまうような、自分の爆発した力を発揮できる場所がなくて悶々としている子も来る。ただ、「不登校だからここに行こう」という学校とも違う気が僕はしていて。だから僕は「こんな学校も選択肢にあってほしい」と表現していますが、こういう学校が必要な人は世界に20人くらいはいる、と思っています。

いろんな学校があると思いますが「これこそが正しい!」となると視野が狭くなるし、それ以外を否定したくなる。この学校は人間関係シビアで、逃げる場所もない。そのしんどさを予感しながら、自分の中の変革を欲している子が行く。本編にはないですが「自分の存在が他者に認められたと実感できた」と夕会で話す場面にも立合いました。不登校だった子に変化を与える可能性がある学校です。

—変化が起きるっていうのは、子どもにとって成長でもあり。素晴らしいですね。

作品では個々のバックグラウンドは全部排し、複雑な事情は描きませんでしたが。人と会話をして、人の話を聴くって、おもしろいですよね。

—聴きながら内省して、自分の言葉で返していく。聴きっぱなしではない。

アンサーの仕方もさまざま。手紙にしたり、言葉で言えなくても態度が変わったり。夕会(礼拝)は毎日あるので一日ごとに微妙に人間関係が変化する。成績が良くても悪くても、五十音順に回ってきて話さなくてならない。それが、あの学校を表しているように感じます。新入生の頃なんて、手を震わせながら緊張して話したのを覚えています。

—大人になる時期は、人にどう思われるか?って怖いですもんね。

例えば「この子は気が弱いからできないよね」ということは、愛真にはあまりなくて。中学まで人前で話すことなんてなかった子が、がんばって夕会で話すようになる。すると「がんばったな!」と寄ってくる仲間は多い。制約のある環境で立ち向かわなければならないシビアさと、そういう経験が多いために人の気持ちがわかる温かな側面と、複雑に同居している場所です。

—夜の過ごし方は、本を読むとか、音楽を演奏するとか、歌うとか。3つくらいなのでしょうか?

めっちゃ話します。語り合うというと高尚な感じですけれど。スマホでYoutubeみるような感覚で誰かの部屋を訪ねて話していました。エンターテインメントとして人に会いに行く。本を読む人もいました。消灯後は基本的に静かに過ごさないといけませんので。

—次の作品は何か構想ありますか?

映像の仕事は、これからもたくさん新しい人が出てくると思います。僕は、自分自身は映像をつくる能力はそれほどないと思っているので、今後はわかりません。今回の作品でも監督と名乗っていますが、言い出しっぺくらいに捉えています。いろんな人といろんなことがあって、最終的に辿り着いたものが、皆さんに観てもらっている作品です。いろいろぶつかって迷いがあり、ようやく辿り着きました。

ただ一つだけ。亡くなった本橋成一が、最後通っていた取材先があって。そこにも色んな人がいるはずです。

周りを見回したら、僕のやりたいことをできる環境にいる人が僕しかいなかった。卒業生でも、もっと大手の映像会社で働いている人もいますし、そういうところに話をもっていこうかとも思いましたが、僕が撮りたい人間関係は長期の滞在が必要で、普通ならそこまで時間とお金は割けない。見渡して僕しかいなかったから撮ったんです。

—どんな人に観てほしいですか?

言葉にしにくい学校で、言葉にするとものすごく当たり前のことをいうことになってしまう映画。意味することは、人間関係の映画。人との関係で何かある人は観てほしいなと思います。受け手によってこの作品の捉え方は千差万別のようで、感動して泣く方もいれば、傷をえぐられたという人もいる。もういいよ、ということをもう一度蒸し返させられてしまうかもしれませんが、他者とのことを思う一助になればと思っています。未成年を撮っているので配信やDVDになる予定がありません。劇場でしかご覧いただけません。

—ありがとうございました。


※画像は許諾をいただいて掲載しております。

◆6月6日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開 予告編はこちら


人と対峙すること。とりわけ10代後半の多感な時期に、こんなにも厳しく、尊い時間を過ごせる学校があることに胸が熱くなりました。最終試写を拝見してから慌ただしくオンライン取材。取材中、部屋を覗き込む息子さんのかわいい姿もあり。監督の幸せな日常を垣間見ることができました。そういう何気ないシーンが美しい作品です。ぜひ劇場でご覧ください。(2026年5月取材・執筆/マザールあべみちこ)

取材の一部を音源データでご紹介します