
Books&Coffee「AMIS」店主
稲葉恵一さん
1951年生まれ。東京都下町育ち。中央大学大学院文学部英文学科修士課程中退。渡英後、さまざまな職業を経て、青山ブックセンター(以下、ABCと略)店長として16年勤務。その後も本にかかわる経験を重ね、2010年に横須賀市へ移転。「記念館三笠売店」店長を務めてから、2016年に上町にてBooks&Coffee「AMIS」をつくり、現在に至る。
横須賀上町、中里商店街の一角に佇む古書とビジュアル洋書のブックストア&カフェAMIS。
AMIS(エイミス)の店名はイギリスの小説家マーティン・エイミスから取ったという。稲葉さんは六本木のABC(青山ブックセンターの略称)で店長をされていた方。インターネットのなかった時代。都会の本屋さんはアイデアの宝庫、文化の情報発信地として存在していた。行けば刺激になるものと出会い、文学もデザインも歴史もジャーナリズムもごちゃ混ぜの渦に身を沈めて考え、感じることが楽しかった。上町にあるAMISは3人しか座れない小さなカフェスペースがあり、そこは稲葉さんと話ができる大切な場。今年で10年目を迎えるAMIS。横須賀という街について稲葉さんに聞いてみた。

ABCの店長を経て、AMISは今秋10年目に。
—ABCで店長されていた頃、私は広告会社のコピーライターでした。よくお店に足を運んでいましたよ。ずっと六本木店で?
六本木のあと、新宿南口LUMINE、神宮前本店にいた。2000年に一度退社してね。「東京ランダムウオーク」という書店を洋販社長とつくった。2004年にABCが倒産。それを買ったのが当時所属していた日本洋書販売。今はもうないけどね。それで2004年に再びABCに戻って、ABCを再生した。「東京ランダムウォーク」という書店だった場所は、「ストライプハウス美術館」となって、今も六本木の芋洗坂でgalleryをやっています。真ん前が六本木中学。お客さんが通りから見下ろすんでカッコいいでしょ。かつては地下一階と二階に本屋が二層あって、その上に日本洋書販売の事務所がありました。

—素敵なBook&galleryでしたね。そもそも横須賀に来た経緯というのは?
妹夫婦がだいぶ前から横須賀住んでいて、両親も一緒でね。で、父親が13,4年前に亡くなって。妹から「母親が寂しそうだから横須賀へ来ませんか?」ってんで、それで来たの。その前は横浜の石川町にいた。2010年かな。大震災の前の年だった。
—ということは、横須賀で3.11を経験されたんですね。
そう。その時の勤め先は銀座の出版社。電車に乗っていて、ぐらっときて。京急は停電になって富岡駅からここまで歩いて帰ってきたの。15時前に揺れて着いたのが18時過ぎ。この上町のあたりに借りていた家まで3時間くらい歩いて帰ってきた。
その時、横須賀ってなんてトンネルが多いんだろうって。青ざめたアメリカ人が狭いトンネルを自転車でぶっ飛ばして危なかったよ。一番被害が大きかったのは金沢八景。少し沈んでいるビルもあり、手旗信号になっていた。あの辺全部埋立地だったのね。家のテレビで初めて津波を観て「ああ、大変なことになっているんだ」って。
—あの時は電話も通じませんでしたよね。それから紆余曲折を経て、AMISを始められて。街の変化は感じられていますか??
今年の9月で10年目。あっという間だな。2016年から始めた。横須賀に住んでいる割に、横須賀のこと全然知らないの。変わっていないと思う。上町商店街は、どんどん寂れているね。冬は特にわかるけど、6時頃通ると真っ暗よ。
—こだわりの書店をもちたかった理由は?
いやぁ、あまりそういうこと考えたことない。てか、これしかできないのよ。おもしろいかどうかは、お客さんが判断するのだけど。つまんねーなっていうお客さんもいるし、俺のジャンルじゃないって人も。それは当然だし、しょうがない。店内を常に清潔にしておくのはこだわりかな。乱雑で汚いのはなくしたいし、書店としてやったらいけない。こんなような(本が本の上に寝ている状態)のは最低。でもね、入りきらないんだよ(笑)。




一期一会の出会いがAMISらしさ。
—ABCの延長のような遊びゴコロのある本屋さん。AMISならではという特徴は?
新刊は在庫切れたら入ってくるけれど。古書の場合は入ってこないところ。毎週何が入るか全然わからない。そこが新刊書店と全く違う。古書店の本は一期一会。だからお客さんに言うの。これどうしようかなと思う時は、とりあえず買ってみたらって。もちろん高い本は別です。今まで何十人もいたの。「あの本売れちゃったんですか?」って。
—例えば定価1500円の本をいくらで売るか。ルールはあるんですか?
価格設定の基準は仕入れ価格による。うちは基本仕入れ価格。2000円の本を古本で1500円にはしたくない。2000円の本を1000円で仕入れた場合、そういう時は目を瞑って1200円とか1300円で売るの。どうしても欲しい本ならね。
—ほとんど利益にはならないですよね。身銭を削ってやっています?。
足が出ちゃう。新刊書店で新刊の値段で買っちゃうわけよ。この本があると棚がぴしっと締まるなと思うと買ってきちゃう。で、それを安く売る。この「カフカの日記」は定価5500円。で、5500円で買ったわけ。まだ読んでないから売らないけれど、売る時せいぜい3,4000円だな。超新刊なら5000円で売ってもいいけれど。2024年4月第一刷だから。AMISの新刊定義は、現時点を目安に1年以内のもの。それ以前、1年以上経っているのはだいぶ安くしています。
—あとで見て買います。生鮮食料品みたいでいいな(笑)。
たとえば「G線上のアリア」って結構売れているけど、安くなっている。なにしろ仕入れ価格が基本。あとは自分がどうしても欲しい本。だからね。よくお客さんから「趣味で(できて)いいですね」なんて言われてね。最初カチンとしたけど、考えたら趣味でやっている部分も多い。だから今は「その通りです。ほんと私は幸せ者」って言うことにしています。
—小説、デザイン本、写真集、どういうのが一番AMISではシェアとして多い?
どれか一つに突出はしていない。ただ横須賀にはないのかなっていうのが洋書の写真集と英語の原書。たとえば只今取り置き扱いになっている「ISADLA&ESENN」という1980年にロンドンで買った本。日本で売っているのはAMISだけかも。
イギリスの前衛ダンサー、イサドラ・ダンカンとロシアの若き詩人エセーニンとの親子ほど年の離れている二人の恋愛を軸に展開するノンフィクション『裸足のイサドラ』は映画にもなった。イサドラ役を演じたヴァネッサ・レッドグレイヴが彼女とそっくりでした。ロンドン滞在中にサンデータイムスを読んでいて、この書評が載りました。これがその切り抜きです。


好きなことをする自分の生き方を大切に。
—稲葉さん、いつ頃ロンドンにいらしたんですか?その時、お仕事は?
ロンドンには1980年4月から1981年の4月頃まで1年いたの。サッチャー首相の厳しい時代で1ポンド500円。ジョン・レノンが撃たれ、モスクワオリンピックはアフガニスタンにカコつけてアメリカが不参加表明したから日本も不参加。百恵ちゃんが引退し、越路吹雪、作家の立原正秋が亡くなった年。大学時代、ヴァージニア・ウルフを愛読していたからイギリスに行きたかった。
30まで定職には就いていなくてね。1年位恵比寿の出版社で編集みたいな仕事。あと大学院に2年ほど腰掛けてぶらぶら。ホテルの夜勤とかバイトしてお金貯めてロンドンへ。帰国してからは洋書の輸入会社、英会話学校の事務。など。下町育ちの江戸っ子なもんで、気短なところもあって。とある福祉系協会事務局では事務局長と合わず1年で辞めた。
—いろいろな仕事を経由して、本屋さんに落ち着かれた?
新聞みていたら、たまたま六本木のABCの募集が載っていた。「洋書ができる人」となっていて応募したら通った。1984年のことよ。つまんなかったらすぐ辞めちゃおうって(笑)。ところが、働きだしたら本屋の仕事はおもしろい。いい同僚に恵まれたし、本の棚づくりに没頭する日々。仕事は稼ぐ金の額じゃないと思ったね。
—ABCには1984年から2000年まで勤務されていらした?。
ABC辞めたのは2000年。それは一回目の退社ね。その後、洋書の会社へ。「東京ランダムウオーク」をつくり神保町、六本木、赤坂に出店。2004年にABCの経営が傾いて、日本洋書販売が買収した。で「稲葉、六本木に戻れ」と言われて戻ったの。それで六本木の店を改装したり、ヒルズにも店を出して六本木店とヒルズの統括の仕事をしました。その頃は、もう昔の勢いはなかったね。2008年にまたおかしくなって、私を救ってくれた社長が解雇に。それで私もそろそろ潮時かと思って辞めました。その後は、原宿や駿河台にブックカフェをつくるのを手伝ったり、記念館三笠売店で店長を務めた。
—横須賀にきたのが2010年、長い歴史です。これからの横須賀に期待していますか??
自分の店に、いろんな人が来て、ほんの少しでも幸せな時間が持てたなら、それで充分。それが横須賀の街にプラスになるひとつの要因にはなるだろうけど、街に期待するという感覚はありません。誰しもが自分の好きなことをやってほしいな。街に期待するなんておこがましいじゃん。でも自分の店はよくしたい。自分の生き方をそれぞれの人が大切にしてほしい。今70代ですが年齢は関係ない。好きなことすればいいんだよ。
—人生何があるかわかりません。明日死んじゃうかもしれない。元気の秘訣ありますか?
毎日しっかり生きないといけないよな。個人個人でがんばっていこうよ。目の前の人にやさしさもって、ちょっとしたことでいいんじゃない?でも政治家は別だよ。渡辺一夫って東大仏文の学者が昔言っていた。「政治家は徹底した偽善者になれ」ってね。
地元の人はやさしくて親切。シャッター上げるとみんな挨拶してくれる。名物爺になっているのはうれしいよ。毎日お湯にレモン汁絞って飲んでいるの。血液がサラサラになるんだって。お酒はね、原宿で一度ぶっ倒れて広尾の日赤に運ばれてから飲んでいない。もう10年以上前のことよ。それまで毎日飲んでいたけれど、煙草と酒はやめたの。あと10年はこの仕事をしていたいからね。
—ありがとうございました。

亡き父は新聞社で本をつくる部署にいたので、AMISの書棚が父の書斎と被りデジャブーでした。片っ端から手にしてもハズレのないラインナップ。さすがです。単に買うだけでなく、話のできる本屋さん。懐かしくてありがたい場所です。コーヒーの他、かき氷やおいしいしそジュースもあった!ますます上町に憧れが募る。AMISは名所であり続けてください!
(2025年6月取材・執筆/マザールあべみちこ)
\\ 取材の一部を音源データでご紹介します //





