みんキチVol.15│50を過ぎてから吹き出した才能。老若男女にあでやか切り絵を広めていく。


切り絵作家
深川行敏さん


1951年鹿児島県生まれ。18歳で上京し東京で暮らす。印刷会社、ディスプレイ会社、デザイン事務所を経てフリーランスのデザイナー、イラストレーター、オブジェ作家となる。
50歳を過ぎてから横須賀市へ移転し、多彩な経験を生かして切り絵作家に転じる。2011年3月11日東日本大震災の後、あでやか切り絵で被災地支援イベントを開始。一般社団法人あでやか切り絵協会GUMI FACTORY代表。
横須賀市岩戸在住。

横須賀美術館すかび隊の活動に携わっていますが、そこでご一緒しているのが今回ご紹介する深川行敏さん。その猛々しい切り絵タッチに凄味すら感じます。まわりに切り絵作家の友人知人が複数いますが、そのどれとも被らない独特な風合い。「もちもちの木」の滝平二郎さんの絵にも通じる和テイストで、見る人の心をザクザクと斬りこむかのような不思議なパワー。長くグラフィックデザインとイラストレーターを生業にされてきた深川さんが、50歳を過ぎてから横須賀市へ移転。そこから切り絵を始めたというスロースターター。けれど爆発して切り続け、6月に個展も開かれます。市民アート展へお邪魔して立ち話での取材となりました。

デジタルに拒絶反応、アナログへのこだわり。

—改めてお話伺うのは初めてになりますが、切り絵は独学で?

そう。習うことはないからね、独学です。デザインカッターで50歳過ぎてから切り絵を始めた。和文様の仕事を依頼されて100枚以上切ったのが最初。3か月くらいで制作した。お題があって切る。下絵を描いてね。この展示されている「魔人」は切り直したもの。サイズが小さいほうが切るのは楽です。大きなものは結構大変です。古道具屋で扉を買ってきて足をつくってテーブルにして、リビングに置いたそこが制作場所として切っています。

—「あでやか切り絵」は、ちょっとステンドグラスみたいな雰囲気がありますね。

型抜きをして裏からペタペタ貼る。これは「あでやか切り絵」という商品として売っていこうと2011年に作ったものです。やり方によっては大化けする商品だと思っていた。介護施設でデモンストレーションをした時、切り絵風の絵柄が抜かれてそれだけでも綺麗ですが、裏に色紙やチラシ・千代紙等を貼るともっとステキな作品になると、体に障がいをもつ入居者さんやリハビリの先生方に大変好評を得ました。

—小さな頃から工作がお好きだった?

そうね。私は養子にもらわれて深川姓になったんだけど、実の父親は絵描きでした。誰からも教わったことはないけれど、絵を描くことも立体物を作ることも好きだった。

—高校卒業後にデザインの道へ?

高卒で印刷会社に入ったのね。輪転機を回す仕事。2交代制で朝8時から夜8時までと、夜8時から朝8時まで。そこでだいぶ体を鍛えられた。

—それは、いまなら労基法違反ですけれど。今はデジタル化され印刷会社も様変わりです

印刷会社で1年半働いたけど、デザインの仕事ができないから辞めました。次の仕事を紹介してくれる人がいて、ディスプレイ関係の仕事に就いた。三菱系の催し物会場のディスプレイ。東京タワーの内装もしたな。催し物が多い秋は24時間勤務。昼間作って、夜にセッティング。寝ずに働き続けられた。それで学校に行こうと思っていたら、現場で働けと紹介されたデザイン事務所に転職。それが21歳。他は美大卒や専門学校出ている人ばかり。張り合わないとならなかったから余計がんばった。

18歳で上京し仕事で鍛えられ、25歳で独立。

—広告クリエイターは、東大卒でも中卒でも学歴無関係。おもしろいものが作れたらそれでOKみたいな文化が個人的にはスキでしたけれど。当時はいかがでした?

喧嘩っぱやかったしね。腕のいいカメラマンがクリエーティブディレクターで入社して「おまえはまだ伸びる」と買ってくれたんだけど、ガンで1年もたたないうちに他界された。この人に付いていきたいと思ったのに残念で。結局そこの会社は潰れてしまって、さぁどうしようとなったけど学歴も何もなく、25歳頃からフリーランスとしてやっていくしかなかった。でもそのおかげで錚々たる方と仕事もできました。

—広告のよき時代をご存じですよね。私が広告会社にいた頃とまったく違うと思いますし。

だんだんデジタル化されて、手作業が減ってきた。そっちが苦手でね。ゲームメーカーの仕事は請けていたけれど、ゲームとか全然しないし、デジタル化を拒否したんだよね。でも、それでよかったと思っています。どこの会社もそうだけど、組織にひきずられてズルズルいって、ちょろちょろっと上の役職に就いたりしてね。俺、なんでそれができなかったんだろうって思うけど(笑)。

—あ、それは私も(笑)。モゴモゴ何を言っているかわからないような人が上になるのを見てきた。明確にやりたいことがあって、歯切れのいい物言いの人は規格品でないから、旧態然とした社会では憎まれちゃう。ところで切り絵の制作テーマは毎回どんなふうに決めているんですか??

依頼されたテーマに基づいて切ることが多いかな。あとは、こんなのあったらかわいいな!という視点で作ったり。茶目っ気を含んで切ったりもします。

—ふーむ。で、あと2年で後期高齢者の仲間入りなんですね。今73歳?お若いですね。(この日は71歳の上地市長が視察にいらしゃり記念撮影も一緒に)。

そう。今のパートナーとは50過ぎてから出会って一緒になった。40代まではいろいろあった。東京から横須賀に引っ越してきて20年くらいになるかな。追い出されたら行くところがないから(笑)。一時期はどうしようもない暮らしで、今のパートナーに声かけてもらわなかったら未だに独り身で同じようなことしていたと思う。今年は無駄なことはやらずに、あでやか切り絵を販売する形にもっていこうと思っています。

満を持して、6月週末に個展開催。

—6月毎週末に個展開催されます。主催はコロボックルの会になっていますがこれはどんな?

横須賀・逸見地区の活性化を目指して2016年10月に発足したのが、市民グループ「コロボックルの会」です。逸見とその周辺の歴史、文化や自然などの紹介を通して地域の役に立ちたいと、定年退職した住民らで発足されたそうです。亡くなった童話作家、佐藤さとるさんは横須賀市逸見の出身で、彼の代表作コロボックル物語シリーズで活躍するこびとにちなんで名づけられたみたい。

逸見駅から3分くらいの場所にハウスプラザという不動産屋さんがあって、そこの2階スペースをギャラリーとして個展を開催します。6月の週末土日のみ開催です。コロボックルの会は長く逸見で活動されているので、代表の田口さんからも横須賀のいい話が聞けそうです。

—行きます!逸見。横須賀のことわかっていないので教えてください。ワークショップは対象年齢ありますか?

いや全世代。小さな子からお年寄りまで参加歓迎です。あでやか切り絵はボケ防止にもなるしね。

—追浜の日産工場も閉鎖になるなんて誰も予想しなかったことが今起きているわけで。一寸先は闇ですよねー。横須賀市、大口の法人税取れなくなるから経済的痛手も大きいでしょうし。

日産は広告も問題だよね。フェアレディZのCMは特にそう感じている。横須賀は、新しいことを盛り上げていく姿勢に欠けているのが問題だね。。

—ちょっとでも新しい風を吹かせられたらと思って「みんなのKICHI」をつくろうとしているので、ぜひ大御所クリエーターの一人として参画してほしいです。この街を良くするには、一人ひとりのスキルを発揮しないと実現できないと思うので。今後取り組みたいことは何でしょう?

切り絵を制作している時は何も考えていない。「あでやか切り絵」を商品化していきたい。これは絵心のない方でも楽しめます。型抜きして有る穴の裏側に色紙やチラシ等貼るだけの簡単さで貼り終われば終了!
満足感が得られ、そしてメリハリのあるカラフルな絵柄になります。同じ絵柄の台紙を使用しても貼るモノによってまったく違う作品に仕上がる。つくる人は自分の作品に驚かれ大喜びされます。今年は「あでやか切り絵」を広めていきたいね。

◆Information
深川行敏「きりえ展」
場所:【谷戸のギャラリー按針】横須賀市東逸見町1-51 2階
日時:6月週末 土日のみ
*日曜は在朗12:00~17:00(予定)
主催:コロボックルの会


深川行敏切り絵サークル(名称未定)
開催予定説明会
楽しめる趣味の切り絵から公募展・展覧会等に出品ができるまでの作品制作を一緒に学べるサークルを作りたいと思っています。関心のある方は下記の日時と場所までお越しください。
日時:令和7年7月7日(月) ラッキーセブンの10:00~12:00
場所:横須賀生涯学習センター5階 第1学習室

—ありがとうございました。


立ち話の取材。来客対応もされながらお話を伺いましたが、実はこんなに長く話すのは初めて。いつも美術館の活動でわちゃわちゃしているので。濃ゆい人生を歩まれている深川さんは生粋のクリエイターなのだと感じています。才能って噴き出すもの。上地市長もお越しになられて作品をじっくり拝見されてました。どの作品も目に焼き付いているはずです!
(2025年5月取材・執筆/マザールあべみちこ)

取材の一部を音源データでご紹介します