
NPO法人よこすかなかながや
理事長・和田信一さん
公式HP https://yokosukanakanagaya.com/
1967年生まれ。神奈川県横浜市金沢区出身、横須賀市在住。 元、長距離トラックドライバー。50歳を境に残りの人生を子ども食堂にと覚悟を決める。 わが子の子育てには関われなかったが、よこすかなかながやに来る子どもたちと一緒に過ごし、子育ての難しさ大変さを経験しながら日々学んでいる。 『子どもの心は現場でのみわかる』という接し方を独自に編み出し、子ども一人ひとりに真剣に向き合い寄り添っている。
2022年公益財団法人ソロプチミスト日本財団様より社会ボランティア賞、 2023年公益財団法人社会貢献支援財団様より社会貢献者賞受賞。テレビ、新聞、雑誌、等多数の取材を受ける。
横須賀市池上に建つ築60年の長屋。とはいえ、昨年某TV番組のリノベーション企画で大幅に改築して、中は新築同様。今っぽいカラーの内装で一見ここが「子ども食堂」とは思えない。NPO法人よこすかなかながや理事長の和田信一さんは元トラックの運転手。その職歴もさることながら、たくさんのメディアに取り上げられている「よこすかなかながや」がどんな所なのか。とても関心をもち今回取材させて頂いた。常設の子ども食堂で子どもを支えているのは、横須賀市内ではここが唯一。不登校・ひきこもりが多数いる一方で、虐待やネグレクト、親の経済事情で進学の夢を絶たれてしまう子どもたちもいる。そうした子の『今の心と命を守る』を掲げて今日もご飯を作る。なかながやの現状と展望について、和田さんの想いを聞いた。

2016年に転機を迎え、軽い気持ちで子ども食堂の手伝いを。
—はじめまして。この「みんキチインタビュー」では横須賀で既に子どもに関わる活動をされている方にお話を伺って、どんなふうに運営されているのか?どんなことが必要なのか?をお聞きしながら皆さんの活動を応援するインタビュー企画です。とはいえ、和田さんはたくさんメディアに取り上げられているので今さらマザールで取材することはないかもしれませんが。どうして子ども食堂を立ち上げられたのですか?
子ども食堂を始めたきっかけは、2016年頃に転機がありました。それまで長距離ドライバーとして働いて、なかなか家に帰れず家庭を壊してしまい離婚。トラック運転手をしながら子どもの養育費をずっと払い続けてきた。子どもたちが成人し養育費支払いを終えたのが2016年でした。運転好きでも長距離ドライバーはいろいろ大変で。トラックを降りたら、毎日帰れて休みもちゃんと取れて趣味を見つけてゆっくり暮らそう、と思った。
丁度そのタイミングで、よく聴いていたラジオで子ども食堂が取り上げられていた。子どもの貧困率は6人に1人。それを子ども食堂が助けていますと聴きました。子ども食堂の先駆けでもある近藤さんに聞くと、そうじゃない。そういう子もいるけれど大変な子を助けるために始めたのではなくて、お腹いっぱい食べさせてあげたいから食堂を立ち上げた、という。どうも当時のニュースや報道は、貧困の子どもよりでした。そんなに大変な子がたくさんいて、子ども食堂で助けられるのか。今まで好き勝手してきたし、トラック降りたら少し手伝ってみようか。そんな軽い気持ちが始まりでした。
—最初は横須賀にあった別の子ども食堂でお手伝いをされていた?
最初は東京の子ども食堂で手伝おうと何件か電話しましたが、折り返し連絡がもらえずあきらめていた。もしかして迷惑かな?って。そうしたら「横須賀でも子ども食堂をやっている人がいる」とある方から教えてもらった。連絡すると、すぐ来てください!で、そこからお手伝いが始まりました。完全にボランティア。一方で人材派遣会社に登録して、コンビニのお弁当工場とか夜の仕事を斡旋してもらって働きながら。昼間は子ども食堂とフードバンクの手伝いをしていました。
—すごいバイタリティーですね!それを10年くらい前からされていた。
手伝い始めて1年くらいで、その子ども食堂を締めることに。でもボランティアさんたちから「子ども食堂はこれからますます大切になる。私たちで新たに食堂を立ち上げませんか?」と誘われました。ただ皆さん本業が忙しくて「和田さん、昼間は暇だよね?」となりまして……。僕なんて、わが子の授業参観も、町内の掃除も出たことがなかったんですけれど。
—しょうがないですよね。職業柄、おうちにいられないことも多かったでしょうし。
いやぁ苦手でして。人と交渉したりするのが。行政の手続きとかもすごく苦手。でも名前だけでいいから。あとはみんなでサポートするからと言われて、代表になってしまいました(笑)。
—担ぎ出されたんですね。はい!やります!ではなく。消極的だったにせよ継続的に活動されて、そこに子どもたちが集まるのはやはりすごいことです。
新しく始めた子ども食堂は約1年間やりました。場所は衣笠のコミュニティセンターと、久里浜のコミュニティセンター。別々の場所で月2回開催。そこに来る子どもたちを見て、やっぱり大変な子どもがいることに気づきました。親に暴力を振るわれる子。食事をもらえない子。スマホで自殺方法を検索する子。実際にいた!……と衝撃を受けた。
月1回コミュニティセンターでの食堂は、その時はいいかもしれない。でもその子たちに何かあった時、助けて!と逃げてこられる場所がない。昼間に時間があった私は、こういう子どもたちにもう少し寄り添えないか?と考えました。それで、その団体の代表を退き、池上で新たに子ども食堂を始めました。それが2017年5月のことです。
子ども食堂に掛かる諸経費は、他で働いた給与を注ぎ込んで支えてきた。
—2017年5月から、よこすかなかながやを始められて、今年は8年目になりますね。
なかながやの理念は「子どもの今の心と命を守る」。今は常設の子ども食堂ですが、立ち上げ当初は週3回。火・木・土の夜の子ども食堂から始めました。家賃や光熱費、食材費が掛かります。ここの立ち上げメンバーに横須賀の某介護施設の常務取締役がいらしたので、その介護施設で特別に夜勤の仕事を作ってもらい働かせてもらいました。本当はそういう職種はなかったのですが、特別1日おきにシフトに入れてもらい、その給与で家賃や光熱費、食材費を賄っていました。
やり始めて気が付いたのですが、夜勤明けで帰って、子ども食堂の片付け、準備、食事を提供してから寝る。すると一日おきにしか眠れない。夜勤明けは本来なら朝から寝ないと体力が持ちません。もうふらふら……。介護施設ではナースコール対応もあり寝られません。そこで3年半勤務しました。
—それはすごい。お給料全部注ぎ込んで、子ども食堂を運営。和田さんのがんばりだけで続いてきた。どういった家庭環境の子どもが来られますか?
昼間は学校に行けてない子です。長いと朝9時に来て、夜の子ども食堂19時30分に終わるまで、ずっといます。ここだけだと飽きてしまうので、公園に行って体を動かしたり、池に連れて行ったり、一緒に食材を取りに行ったり。夜は子ども食堂の子とフリースクールの子が合流して過ごします。ここに座りきれないほど混雑して昨日は15人だったかな。
—おひとりで切り盛りをされていらっしゃる?
朝はすべて私が作ります。昼夜はボランティアさん。ボランティアさんがいない時は私が作ります。市内でも遠くに住んでいる子は、バスと電車を乗り継いでここまで来る。お母さんが食に関心がないと料理の味付けがまずかったり、ボリュームが足りなかったり。朝ここでご飯を食べて学校へ。お弁当も大盛を持たせます。それでも足りなかったとLINEがくることも。お弁当箱は100円のタッパー。お弁当箱忘れないでと言っても持ってこない子もいる。事情のある家庭環境の子が多いから、感覚が違うこともある。
—お近くに住むお子さんが来るだけではない?
行政からの紹介だと横須賀市内全域からですね。追浜、鴨居、野比…など市内とはいえ遠くて通いきれません。そうした事情を抱えた子どもが今35件います。毎週木曜日に食材を届けにいきます。ボランティアさんに配達をしてもらいますが、玄関で受け取ってもらいます。水曜日はフードバンクや企業に食材を取りに行きます。パンもフードバンクから100個もらいます。
—大変な活動です。その35件は、どんな年齢層のお子さんですか?
バラバラです。子どもに届けても、親が食べてしまったりする。両親とも病気でご飯が作れない家庭もある。ゴミ屋敷みたいに荒れているお宅には野菜を届けても腐らせてしまう。そういう場合はパックご飯、パンやカップ麺とか。そうした食材を届けるようにしています。
—深刻な社会問題を毎日見ているようですね。
そうです。もっと踏み込んで何かはできない。とりあえず今の命をつないでもらうため、子どもたちが安心して学校に通えるように、食材は持っていこうと思っています。さまざまですが深刻な家庭もあります。行政からの紹介は大変な事情を抱えていますので。
生活保護を受けていても足りなくなってしまうとか、子どもがご飯を食べられていないとか。たくさん問い合わせをいただきますが、私のところで全部受けいれられるわけではない。




テレビ番組で取り上げてもらい、何度でも立ち上がる。
—費用はすべてNPO持ちですか?うーむ。3年半、介護施設で働いたお給料全部子ども食堂に注ぎ込んでいた頃は、まだNPOではなかった?
そうです。NPOになったのは2022年11月です。3年半介護施設で勤務してからNPOにするまで少し間があります。とある企業が運営をスポンサードしてくれることになり、私の給与もいただけるお話が降って湧いたようにありまして。お金があれば毎日ここを開けられるし、願ったりかなったりでした。ちょうどコロナ禍まっただ中。全国の子ども食堂が閉鎖しました。緊急事態宣言から会食ができず、うちもそれに従うことに。でも家庭でご飯を食べられない子が何人かいて、そっちのほうがコロナより大変で、そういう子だけ受け入れていました。
他の子はLINEで何かあったら連絡して。緊急事態宣言が明けたら少しずつ戻すからと。パーテーションで区切り、消毒をし、できること全部対策して、最終的に高校生2人を受け入れていました。そしたらスポンサーの会社が、なぜそんな少ない人数なのだ?もっと呼ばないと意味がない。とにかく今子ども食堂を開いて、今が目立つチャンスなんだと。でも、ここでクラスター起こしたら全国の子ども食堂に迷惑が掛かります。全国の子ども食堂をここで束ねろと言われ、いやうちはそんなことを目標としていない。ここにきている子どもの命を救うために活動していて、他の子ども食堂と情報交換はしても束ねたり、食堂の面倒を見たりはしません。と言ったら、じゃあもう支援は打ち切ると言われました。まぁそこからはずっと活動は火の車です(笑)。介護の仕事もやめて、入ってくるお金も無くなり。
—正直な和田さん。そんな関係は断って正解でした。再度どうやって立ち上がったのですか?
うちがテレビのスーパーJチャンネルというニュース番組に取り上げられたんです。10分に満たない企画で1年に1度は取材が入る。最初は2018年。そこから何年かにわたってずっと取り上げられて、それを観た他局が取材に。テレ東の「あたりまえにありがとう」という番組でお笑い芸人の小島よしおさんがここにきて、いつも和田さんにご飯をつくってもらっているから逆に子どもたちでご飯をつくって感謝しよう、という企画とか。みちょぱも来ました。ギャルが田舎を救うみたいな番組タイトルで。ご飯だけでなく、買い出し、掃除や整理整頓などギャルたちがテキパキ活動する企画。で、そういう番組で「運営が大変です」と伝えると寄付が集まりました。それがなかったら、うちはやっていけません。
—門戸を開いているというのも寄付につながって、いいですね。
先日も高校授業料無償化のニュースに絡めてテレ朝が取材にきました。子どもたちがご飯を食べているところ、私のコメントなど、うちが支援している高校生とこれから高校入学する子のいるお母さんが完全モザイクですが出てもらい、次の日の夕方放送されました。ニュースの時は、運営が大変とは言えませんが。一番大きな番組は、昨年24時間テレビでヒロミさんのリフォーム企画でここに来てくれたこと。3年前に話がありましたがコロナ禍で伸びていて、今回1カ月半かけてリフォームしました。
—えーと、ヒロミさんがどうかかわる企画でしたか?
お笑い芸人のやす子ちゃんがマラソンランナーで走ったんです。彼女は児童養護施設で育ち、35歳までに子ども食堂を始めるという明確な目標がある。やす子ちゃんがヒロミさんにここを紹介してリフォームしてあげてくださいという企画でした。1か月半立ち入り禁止で、24時間テレビの生放送で初めて生まれ変わったここに入れました。
運営費を賄うためにお弁当屋も始めた。
—やす子ちゃんに運営をサポートしてもらうとかは、ないですか?
うーん。ちょっとわかんないですけど。子ども食堂って今1万軒超えていますが、そういう意味では持っている(運がいいという意味で)。毎日朝昼晩食堂開けているところは他にないですし。メディアに取り上げられて、寄付でなんとかやっているところもない。たぶん、うちくらいですね。威張れることではなくて、いつも綱渡り状態。何とかしたいのですが、なかなかいい案がない。
去年、お弁当屋を始めました。子ども食堂とは関係なく、普通のお弁当です。ひとつは運営費を賄いたいという意図で。市役所地下の食堂を今やっていない所で販売してもいいのと、市役所の職員向けに配達してもよい、横須賀リドレというタワマン前でも売ってよいと許可をもらいました。大体ひとつ500円です。
—500円で1日何個売れば、いい感じですか?
100個くらい売りたいけど当時からここが忙しくて。子どもたちもずっと一緒なので。夜の子ども食堂が7時半終わり。他のボランティアさんや子どもたちを送って、帰ってきて片付けして、結局仕込みや買い出しは夜中しかできない。
そう。唐揚げとか妥協したくないものもあって、もう朝になっちゃう。朝の4時とか5時くらいまで店にいて、車の中で寝て、6時に朝いちばん従業員が来るので申し送りをして、急いで帰ってきてここで朝の子ども食堂の支度。
—和田さんスーパーマンです。でもそんなに無理すると体が壊れてしまいそう。
全然寝られなくて。1年間がんばったけれど体調を崩しました。ここにきている子と配達している子を合わせると子どもは100人ほどいます。外部からいろいろ言われますし、子どもたちのトラブル、事件、学校とのやり取り……日々いろんなことがある。さすがにしんどくて会議中に心臓が苦しくて。救急車呼ぶと大事になるので、夜間外来へ。ストレス性の狭心症と診断されました。今もだましだましで夜はなるべく睡眠をとるように。発作が起きたらこれを飲むように首から下げて。使ったことはありませんが。
—健康第一ですからご無理なさらずで。私は児相でも働いたことがありますが、涙なしでは語れない事情の子がたくさんいました。
そういう子がいることすら、普通に暮らしていると気づかない。子ども食堂で何をやっているんだとか、親に金払わせろとか、親の責任だとか。平気で言う人もいるんです。
—いろいろな人がいるから、子どもを守るのも苦労が絶えませんね。座右の銘は?
今年の目標は、なかながやで「家族」を目指したい。例えば何か手伝ってと子どもに言っても、なにくれんの?いくらくれんの?と見返りを求める。それって違うと思う。やってもらってありがとうもないし。家族って無償の愛。その愛情が家庭では少なくなっているので、何かあったら助けてあげる。全部無償でやる。そういう愛情が彼らには必要だと思います。
—すべては親子関係。家庭環境がほとんど。学校に求めることって、人との出会いですね。では最後にこの先の抱負は?
とにかく動けば何とかなるというのがあって。それでいろんな人と出会える。あと、何かあって抗ってもしょうがない。合わせるしかない。その労力分を、子どもに向けられますから。
—-ありがとうございました。

和田さんの人生劇場の話がおもしろすぎて、ついつい子ども食堂の取材から、これまで歩まれてきた職歴を根掘り葉掘りと伺いました。常設の子ども食堂ができているのは和田さんの頑張りしかない。ここがあることで救われている子がたくさんいる。もっとこうした地道な活動に行政も支援してくれたらな!と個人的に感じました。和田さんは私が幼少期6年過ごした横浜市金沢区出身と知ってびっくり。そんなご縁もあり、今度なかながやにボランティアとして参加します。お体に気を付けて益々のご活躍を。
(2025年1月取材・執筆/マザールあべみちこ)
\\ 取材の一部を音源データでご紹介します //