みんキチVol.01│商店街の中にある居場所から、寛容な世の中を目指して。


NPO法人アンガージュマン・よこすか
理事長・島田徳隆さん

https://npoey.com/

1973年生まれ。都留文科大学文学部卒業。通信制サポート校訪問相談員、横須賀市青少年課非常勤職員等を経て2006年6月からアンガージュマン・よこすか正職員。2012年6月同理事長に就任。著書に「保護者・教員・支援者のための不登校の手帖」がある。

横須賀市上町商店街の一角にあるアンガージュマン・よこすか。アンガージュマンはサルトルの概念で『社会参加』という意味。この地で20年間、不登校・ひきこもり支援を続けてきた老舗のNPO団体だ。今回こうした企画を始めるにあたって複数の団体にお声掛けしているが、まっさきに返信をくださった。反応ひとつ取っても、親切かつスピーディー。扉を叩く者を歓迎してくださる姿勢が伝わってきた。細面で穏やかな印象の代表が発する言葉は、ほどよい抜け感。相手を緊張させないユルッとした温もり。長年の支援活動で培った人との関係が、今の活動を支えているという。代表理事でありながら自らを「置き物です」と自虐的に称する島田さんに、上町で活動を続ける意味を聞いてみた。

大学に7年在籍、卒業後はフリーター。

—アンガージュマン・よこすかは創立20周年ということで、どういった経緯で始まったのでしょうか。

1998年に教育委員会が適応指導教室を作って不登校支援を始め、そこに通う子どもたちの親が集まってできたボランティアグループがアンガージュマンの前身です。僕は当時まだ関わっていなかった。年1度フォーラムを開催して相談会を実施。全国高校や専門学校にアンケートを取って来場者に結果を配布するなどが主な活動。2004年にアンガージュマンという名前になってからボランティアとして関わるようになりました。当時、結構大々的にメディアに取り上げられたので興味をもったのが始まりです。

—2004年に立ち上がって20年、長いですね。興味を持たれたのはなぜ?

2000年頃から数年間、東京高田馬場のサポート校でスタッフを務めていて、そこに問題意識を持っていました。サポート校は不登校児や発達障がい児など、既存の教育システムでは通えない子どもたちが全国から集まっていました。

僕は横須賀生まれ横須賀育ちで、大学も実家から通える学校に入るつもりが目論見外れて都留文科大学という山梨県の教育系の学校へ。92年入学、99年卒業。実に7年も在籍(笑)。周囲は教員になる人が多かったけれど、僕はモラトリアムでグダグダと。下宿生活で授業よりも麻雀、学費を稼ぐためにフルタイムで測量事務所バイトに奔走していました。週1の通学で単位も取れず。ダラダラとモラトリアムが長かった。卒業後は就活もうまくいかず教員免許で塾の講師などのバイト掛け持ち、ふらふらフリーター人生。今もあまり変わっていません(笑)

—モラトリアムが長かった分、不登校やひきこもりの子の気持ちに寄り添えるのでしょうね。今通われているお子さんの年齢層は?来る時間帯は決まっていますか?

現在、小学生2名、中学生12,3名、高校生も12,3名が通っています。昼はフリースペースで、夕方から勉強スペース。20名くらいが夕方から集まります。5教科のうち、主に数学と英語。小学生に遡って勉強し直したり。僕は置物ですので(笑)学習指導のいろんな先生が指導にあたってくれています。

—月謝も取っていらっしゃる?

そうです。フリースペースの利用料、学習支援の授業料、月に2万円ほど。市内全域から電車やバスに乗って生徒は来ています。徒歩で通える子のほうが少ないです。

商店街にある立地。イベント参加で地域との交流も。

—子どもがアンガージュマンに通うきっかけは?どなたかの紹介ですか?

最近はほとんどインターネット検索です。「不登校 横須賀」で、たぶんうちがヒットするのでしょう。開設当初は割と紹介が多かった。医療機関や、あちこち相談に行ってうちにたどり着いたんです。

—上町という場所を選んだのは何か理由がありますか?

空き店舗があって、県と市の空き店舗補助や商店街からの支援もありました。地域のバックアップが初めからあった。お店は後継者不足。子ども・若者には次の世代の担い手として社会参加。そういう背景で、借りた経緯があります。年に何度か商店街のイベントをお手伝いして子どもたちは貢献できる。朝から学校に行かない子が福引スタッフをしていると、『あれ?学校はどうした?』と聞かれたり。そばでハラハラしながら僕らは見守っていますが、子どもは自然と自分のことを開示できるようになる。社会に出るといろんな人がいて当たり前ですから。

—なるほど。初期のアンガージュマンを卒業された子も30歳くらいになりますか?

この前、久しぶりに会った子は35歳になっていました。結婚して今は公務員に。彼の場合、中学受験で燃え尽きて学校に行かず、中2でアンガージュマンに来た。高校は別のところに進学したものの、また合わず中退。大検受けて大学に行ってからようやく本領発揮。回り道しながらほとんどの子が小学校、中学校でうまくいかなくても高校で切り替えられます。高校がだめなら大学で。いろいろあっても普通に社会人をしていますし。社会に出るといろんなバックグラウンドがある人が集まる。いろんな価値観があるんだと知れるのも、商店街にある良さかもしれません。

—アンガージュマンで過ごして、少し経ってから、もう一度学校行ってみようかな、と卒業する子も?

ほとんどの子がそうです。昼夜逆転の子も真っ青な顔して通って、ちゃんと卒業していく。最低1年くらい通っています。

争うのではなく仲良く。寛容な世の中を目指していこう。

—収入には満足されていらっしゃいますか?

全然。いつもお金のことは大変です。支えてくれるボランティアの方に助けられていますが、目標の半分にも満たない。そこを何とかしなければという渦中です。NPOあるあるなんですが、分裂があるたびに縮小を重ねて今一番コンパクト。お金ではない理念の部分で一緒でないと衝突や分裂に。続けていくのは本当に難しいことです。

—困っている子どもたちはたくさんいるから、お金が大変でも受け入れないとならないですよね。

そうです。社会的課題「不登校がいなくなりました」となるまで解散できない。困っている家庭がある限り意地でも続けないと(笑)。僕で3代目の代表なので。

—毎日いろんな子と対峙して、今の教育に必要なことは何だと思われますか?

一言でいうと『寛容さ』ですね。教員が締め付けられて子どもと向き合う時間もどんどん減らされている今、先生が寛容になれない。ゆるやかな人とのつながりの中で、余裕とかゆとりをもって見守る態勢が必要だと思います。

—本当にそうですね。ゆとりのない大人が上から目線で物を言うと、子どもはそれに倣って同じようなキツイ物言いを真似てしまいます。

感受性の強い子は自分に矛先が向いていなくても、そういうのを嫌がりますしね。僕も小さな頃そうでした。大雑把な男の先生は苦手で。家庭が複雑でやんちゃな同級生は乱暴な子も多かった。公立中学卒業後は県立横須賀高校へ進学。なんでも自由に選択ができて楽しかった。僕のベースは高校時代にあります。

—優秀な進学校でしたね。座右の銘は?

『徳は孤ならず 必ず隣あり』です。素晴らしいことは一人ではできない。必ず誰かの支えがいる…という意味です。若い頃は一人でいるのがカッコいいし、孤高に憧れていましたが、この仕事を通じてたくさんの人に支えられているのを知った。いろんな人と接すること、孤独でいること。どちらも大切ですね。団体のスタッフだけでなく、通っている子どもや周囲の方も含めて支えられています。僕らは横須賀市、なんなら上町にこだわってコンパクトにやっていきたい。狭いところから広い視点を培っていきたい。

—ありがとうございました。

力の抜けたふんわりした感じの島田さん。不登校の子どもたちが足を運べる場は、何度も口にされていた「寛容さ」が牽引できるものなのでしょう。島田さん自身がモラトリアムの経験者で、いろいろあってもみんな大人になれるから大丈夫!という「寛容さ」を感じました。楽しいお話、今度は上町で飲みながらでもお聞かせください!
(2025年1月取材・執筆/マザールあべみちこ)

取材の一部を音源データでご紹介します