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メディアに起きていることを知りたくて選んだ大学院進学
日本テレビを退社し、フリーアナウンサーとして民放全局でレギュラーを持っていた11年前のこと。ふと、このままでいいのだろうか、と思いが頭をもたげた。テレビの現場で起こっている放送業界の変化。地上波のテレビ番組をこなしながら、BSでのレギュラーも始まり、そうこうしているうちにCSへ。「BS、CSって何?と。よくわかっていない自分がいたんです。そうなると、不器用なタイプなので一歩も進めなくなって」。
大学時代は英文科に属し、マスコミの勉強などしたことはない。けれど、自分をとりまく環境がいまどう変化し、どこへ向かっているのか、謎は深まるばかり。この状況を理解するためになんとかしたい、と大学院進学を選んだ。
「ドラスティックに変わっていく放送業界に身をおきながら、実践はあるけれど体系的に捉えられていない。今度は通信が入ってきて、その頃流行りのように言われた『放送と通信の融合』に俄然興味がわいて、それを自分のなかではっきりさせようと」。
最初から大学院進学を目指していたわけではない。それがわかる場所ならば、どこでもよかった。専門学校でも、大学でも、教えてくれる人がいるならどこへでも行くつもりだった。しかし、堀さんがその疑問に直面していた1999年当時、こうした先進的な放送業界の変化について研究する場所はほとんどなかった。しらみつぶしに教育機関をあたって、ようやく慶應義塾大学のSFCが唯一の選択肢として残った。
学生、妻、母という3つが同時にスタートした大学院生活
大学院進学に向けて研究計画書を作成する忙しい時期、のちに結婚する夫と出会った。オペラ鑑賞が趣味の堀さんは、気の合う友人やアナウンサー仲間とよく鑑賞を楽しんでいたが、一緒に行ける仲間を増やしたいと思っていたところに、同じ趣味をもつご主人が現れ意気投合。夫と最初に見に行ったオペラのタイトル『運命のちから』が暗示するように、大学院進学へと続く2001年は、堀さんにとって激動の一年となった。
2001年1月1日に入籍。当時、夫の経営するモバイルコンテンツ会社(株式会社サイバード)も、上場を前に多忙を極めていた。結婚するまでに二人で会った回数は数えるほどしかなかった、と堀さんは笑う。そして、結婚から2ヵ月後に妊娠発覚。4月には、SFCの政策・メディア研究科に入学。薬の飲めない体で花粉症に耐えながら、大学院生活が始まった。
つまりこの年、妻であり、大学院生であり、母であるという新たな3つの生活が同時にスタートしたわけだ。「やっぱりこの年は転機でした。それまで私は結婚しないだろうと思っていたので、大学院へ行くこと以外はまったくの白紙。たまたま同時になってしまった。私の人生、ほんとに無計画なんです(笑)」
SFCは社会人大学院ではないため仕事をしている人への配慮はなく、仕事と勉強の両立は難しかったが、出産を控えていたので最初の半年で単位のほとんどを取った。出産後はsoi(ソイ)という定点カメラとインターネットを使った、家でLiveの授業が受講できるシステムにも助けられた。「授業後、メールで毎週リポートを提出すれば大学に行かなくても済みました。ストリーミング配信があったので、授業を聞いているときに赤ちゃんが泣いてしまったら、そこで生の授業を聞くのはあきらめて、夜中に引き出して聞きました」
最先端技術と気力に支えられ、怒涛の修士1年目を乗り切った。
仲間に支えられて完成させた修士論文
修士卒業時に仲間から寄せ書きして贈られた宝物。
堀さんが現在進める研究テーマの柱は、メディアと教育。
「放送と通信の融合を考える上で、テレビやインターネットなど複合的にメディアミックスさせる良い例としてNHKの学校放送に行きつきました。さらに研究するうちに教育にも目覚めたんですね。」指導を受けた金子郁容教授の影響も大きい上、母になったことが新たな視点を加えさせたのだろう。
出産、子育てを一段落させてから、学業に復帰。休学せず、卒業を半年間遅らせた。それでも、赤ちゃんを抱えていれば何が起こるかわからない。とくに、長男は病気がちな赤ちゃんで、「病院の診察カードでトランプができるくらい(笑)」、病院通いが絶えなかった。
仲間が差し入れてくれたPCのおかげで今がある。
そんな中迎えた、修士論文執筆。赤ちゃんを抱えていてはラストスパートがきかないと思い、執筆には早めに取りかかった。しかし、締め切り目前に使っていたパソコンが壊れ、なおかつ子どもが高熱で入院という事態に見舞われた。病院で1週間完全看護をしながら、手書きで論文を書き進めた。その事態を知ったすでに社会人になったゼミ仲間が、「もう間に合わない」とあきらめかけていた堀さんに、「がんばりましょう、まだ間に合います」と、新しいPCを購入し、必要なソフトをSFCまでダウンロードしに出向き、退院の日に届けてくれた。
「本当に感動しました。最後の1週間は、私の母が子どもの面倒から食事までを作ってくれて。この二人には足を向けて眠れないですね」。
研究から離れないでいることが、いつかつながる
メディアと教育をテーマに修士論文を執筆。研究を続けるために日々勉強。
「今回のインタビューの打診を受けて、そうそうたるメンバーの中に私が入るのでは、と一度はお断りさせていただいたんです。でも、『研究者の幅を広げるという意味でも』と声をかけていただいて。そういう意味なら、私はすごく広げられるかもと(笑)」
堀さんは現在、共同研究員という立場で、子育てと仕事をマイペースに両立させながら研究と大学での講義も持っている。卒業後、研究員として残らないかと言われたときには、どこまでできるのか不安はあった。「修士論文はピリオドではないので、研究員という立場で続けられるのは有り難いです。いつかまた戻ってこられるように細々でも続ける事の大切さを感じます」
2007年には第二子(女児)が生まれ、「また振り出しに戻った」と笑う堀さん。だが、どんなカタチであれ、研究から離れないようにすることが、いつか何かにつながるという。「自分の空いた時間、たとえば夜中にでも研究は続けられる。そんなゆるい研究者の存在を許してくれる、寛大な心を持つ慶応義塾大学に感謝しています」。確かにその姿は、それまでの研究者のイメージとは違って写るかもしれない。
「保育園に預けて博士課程に進みたいと思った事もあります。でも色々考えた結果、私の場合は、やはりプライオリティは子どもにありました。でもこれは、たまたま今の私は子育てを優先させたかっただけで、それぞれの状況に応じてワークライフバランスを取ればよいと思います。一人ひとりが開拓者になって出産も、子育ても、介護も乗り越えて研究を続けられると良いですね。それには周囲の方のご理解を是非頂きたい」
フリーアナウンサーでありながら、出産と子育てもこなし、なおかつ自らのテーマをもって研究を続けていく道。そこには、堀さん自身が切り拓いてきた新しい研究者像が輝いている。
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