水谷さんのお名前は、コピーライター時代からよく存じ上げておりました。私はかつて広告会社のクリエーティブ社員で、子どもを産んで育てるうちに自分が取り組みたい仕事の方向性、視点が変わりました。マザールという会社名は「お母さんを社会へ混ぜる」「いろんな価値観を混ぜ合わせる」というコンセプトで、お母さんに役立つモノと情報、場を企画制作しています。水谷さんの場合は、どのようなキッカケがおありになって子どもたちを幸せにする「MERRY PROJECT」を始められたのでしょうか? |
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「MERRY PROJECT」は99年から取り組んできたプロジェクトです。
僕は80年代前半から本格的に広告の仕事を始めて、たくさんの大手企業のキャンペーン広告を手がけてきました。プレゼン時期が常に重なって疲労困憊でした。ただ、アイデアが枯渇することはなかった。15人チームでアイデア会議するとしたら、そのなかで誰よりも一番多くアイデアを考えて、自分のアイデアを採用してもらおうと。
『デザインで世の中を変えていきたい』と思っていました。広告を創ることに飢えていた。夜11時から打ち合わせなんて普通にありましたけれど、なんともなかった。80年代は高度経済成長期と僕がフリーランスになった時期が重なって、仕事が途切れることなくあった。
91年に湾岸戦争があって、その時手がけた某企業のキャンペーンで「広告の暗部」を見た。それで、広告の仕事はハードルを高くして極力やらないことに決めた。そこから社会的な仕事を手がけ始めました。「俺って何だろう?」と、もう一度自分を振り返ってみようと写真のアルバムをめくっていると、笑顔を探している自分に気づいた。そうか、僕は一人ひとりを幸せにするようなポスターを創るべきなんだと。そこからです、「MERRY PROJECT」がスタートしたのは。
「MERRY PROJECT」は「笑顔は世界共通のコミュニケーション」をテーマに、MERRYの輪を広げていくコミュニケーションアート。一人ひとりのMERRYな想いと、地球を大切に想う気持ちは、国境を越えてつながっていくと思います。
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六本木ヒルズ、ワールドカップ、愛知万博そして2008年夏の北京オリンピックの開会式など、たくさんの人が注目する場に「MERRY PROJECT」がありました。今は、横浜開港150周年に絡めて横浜でも開催中です。企業とのコラボもうまくされていますが、どんなふうに営業を? |
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営業は、すべて僕がやっています。なかには大手広告代理店から声の掛かることもあります。北京オリンピックでのMERRY
PROJECTは、チャン・イーモウさんという映画監督との出会いがあり、通じ合うものがお互いにあったから実現しました。
企業とのコラボは、社会から孤立しないで活動したいから欠かせないこと。例えば、環境をMERRYにしたいという想いが芽生えて、森づくり、農業への動きに結びついた。また、『MERRY
CLEAN UP PROJECT』というのもやっていますが、ゴミ袋も可燃物、不燃物、缶ビン類などそれぞれ目でわかるようデザインしました。
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フットワークの軽やかさが、素晴らしいネットワークをうみだす気がします。 |
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僕は世界24カ国で撮影をしてきました。発展途上国の子どもたちの笑顔を増やしたい。発展途上国がキーにならないと、地球の未来はない。未来の子どもたちのために仕事をしていこうと思っています。僕は、一番問題を抱えているところに行って写真を撮ってくる。子どもを笑顔にさせるのは、一つのデザイン。子どもの笑顔には、未来があります。
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水谷さんの事務所があるビルの屋上では、お米や野菜、植物も栽培されています。都会のど真ん中でも、すごくよく育っているようです。 |
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新しい文化は、環境です。花は咲き、枯れる。でも、乾燥して暗室に放置しておいてもしっかり根っこにエネルギーを蓄えている。ちゃんと次の季節を生きるために育つ。田植えは、2008年6月15日に開催して、秋には収穫祭を行ないご飯を食べました。こうした一環の活動も、僕にとってはデザインです。
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水谷さんは名古屋のご出身ですが、美術系の大学を卒業されたのではないんですね?どこでデザインを勉強されたのでしょう。 |
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大学は工学部でした。僕は団塊の世代で、大学は封鎖されて授業が無くなったり、ヘルメットを被って運動している人もたくさんいた。そんなキャンパスでしたが僕は過激なことは怖かったので、そうした活動とは縁がなかったのですが音楽活動を熱心にしていました。新聞やラジオ放送などにも出演して、当時も結構有名でした。自分たちのコンサートのポスターを創って貼ったりね。音楽で人の心を動かしたり、感じさせたりすることがとても好きでした。振り返ってみると、今の活動の原点は、あの学生時代にあったかもしれませんね。
昭和48年のオイルショックの時代に上京して最初は、編集プロダクションで出版社へ届け物をしたり、イラストを描いたりして重宝がられていました。それで、働きながら桑沢デザイン研究所の夜間部で勉強をし、そこで日本のグラフィックデザインの第一人者・故田中一光さんに教えを請うて、モノの考え方を学びました。「いいものに触れろ、いいものを理解しろ」と。その後、いくつか広告会社で勤めましたが、なかでも日本デザインセンターへは、どうしても入社したくて当時の社長・永井一正さんに直接電話をして「永井さんの会社で働かせてください。」と直接お願いしました。
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え?それは「もしもし水谷と申しますが、永井さんの会社で働かせてください」と面識のない仲で?それは社長としてはビックリするやら、うれしいやらですよね。ものすごく行動力がありますね(笑)。 |
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もともと働いていた会社のボスとつながりがあった方ですので、そのツテもあってでしたが、人が介在しているとなかなか話は進まないので直接……。それで、これまでの作品や面接なども済ませて正式に入社しましたが、入社してからは陰湿ないじめが待っていて(笑)。つまらない仕事でも競合プレゼン。250名くらいの社員から、15名に絞ってチームを組む。そこにエントリーするだけでも大変。でも、ラフもたくさん作って勝ち抜いてきました。年功序列ではなかったので、一部の上司には憎まれましたが、もう一方では頑張りを評価してもらえたんですね。
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きら星のごとく素敵なお仕事ばかりされていらして、今も勿論素晴らしいプロジェクトですがまったく目的は違いますよね。今夏には、横浜で初めて「世界こどもサミット」が開催されるそうで。ここではどんな試みをされる予定ですか?
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世界中から子どもたちが会場に集まり、環境や平和についてのサミットを行ないます。その子どもたちのMERRYを撮影したり
ワークショップなどを行なったりする予定です。
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親子でお出かけすると楽しめそうですね。では最後に水谷さんはMERRY
PROJECTを通じて、今後どのような展開をされたいですか? |
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教育の大切さをもっと理解してもらいたい。日本のような偏差値教育のことではなくて、知恵のある思いやりのある教育。アフリカに学校をつくろうということもイメージしています。あちらの国では、キリスト信者でも貧しくしていると別の宗教に改宗させられる。笑顔は、教育によってもっとうまれるもの。教育のないところに、笑顔はうまれない。これからも世界中の子どもたちの笑顔を増やすために、活動していきます。
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ありがとうございました。
僭越ながら同じ方向をみてお仕事されていらっしゃる方だなぁ、とうれしくなりました。マザールはお母さんの笑顔を増やすモノ、情報、場づくりをコツコツ積み重ねてきています。水谷さんが取り組まれていらっしゃるプロジェクトとは、まったく規模もケタ違いですが、MERRY
PROJECTも10年続けていらっしゃるというお話しに、とても心打たれました。継続することが大切なんですよね。
マザールも今度の4月で6年目。がんばって地道に元気になってもらえることを模索して続けてゆきます。
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