作詞家に進まれたきっかけは、女学館時代のご友人がつないだご縁で?
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今はもうありませんが、当時、友人の家は青山で老舗の飲食店を経営されていました。そこにある音楽関係者の方がいらしていて。私は書くことが好きで、その頃はぼんやりと「エッセイストになりたい」と思っていたのですが、書いたものをその音楽関係者の方に見せたら、「詞を書いてみない?」と言われまして。
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それで、スラスラっと書いて? 初めての作詞は、どんな作品でした?
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スラスラッではなかったのですが(笑)、「ウイスキーティー」というタイトルでした。紅茶にちょっとウイスキーを混ぜると体が温まっておいしいんですよ。大人になった気分の片想いの歌。歌には、例えばワンコーラス、ツーコーラスとあって、言葉のリズムを揃えるとか、韻を踏むとかはじめて知りました。
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そもそもアイドル・大場久美子さんの作詞を手掛けられたのは? |
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「ウィスキーティー」つながりで東芝EMIのプロデューサーを紹介されて。当時、大場さんと同世代に作詞をやらせてみようというのが一つ企画としてあったのでしょうね。ベテランの作詞家ではなくて、アイドルと同じ目線で物事を捉えられる二十歳そこそこの作詞家はまだ珍しくて、ちょうどシンガーソングライターが台頭しはじめた時期。プロデューサーの時代を見る感覚に、たまたま遭遇出来たのだと思います。
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「スプリングサンバ」なんて、私ほぼ全部ソラで歌えますよ。大体の音楽は、姉の部屋から深夜のラジオで流れてくる歌で覚えちゃいましたから。ラジオ全盛期で、やがてアイドルのドラマ(大場さんの「コメットさん」など)や「ザ・ベストテン」が始まって視覚でも歌を楽しめるようになりましたよね。ピンクレディーなんて、その最たる商品でした。
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私の小学生の頃はGS(グループサウンド)全盛期。高校卒業あたりで聞いた、ユーミンのアルバム「コバルトアワー」は新しい世界観で衝撃でした。 女学館で思い出すのは、友だちがローリングストーンズ、シカゴ、ディープパープル、カーペンターズなどのLP盤(レコード)の貸し借りしていたのを、そばでぼんやり見ていました。これでも一応、クラシックピアノやっていたので、当時、洋楽はあんまり聞かなかった。短大在学中に、レコード会社の「アルファミュージック」等に出入りして作詞のお手伝いをしていましたから、卒業後は就職しないで、この道でやって行こうと決めていました。
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誰もが知っている歌をたくさん作られてますが、今回ご紹介する歌でカズンの「キミノコエ」は、ブラインドサッカーの公式応援ソングです。社会貢献的なこうした試みは素晴らしいです。
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ブラインドサッカーをご存知ない方もたくさんいらっしゃると思いますが、目の不自由な青年たちが行うサッカーです。練習試合を見学した時、全く見えないのに全速力で走る。ぶつかる。本当に選手たちの勇気に励まされた感でいっぱいでした。
コーラーの掛け声でゴールを予測してシュートするのですが、「声」はひとつのキーワードになるなぁと。最初、タイトルはシンプルに「声」だった。
でもやはりサッカーですから、サウンドはサンバのリズムでとの要望から、タイトルも再考して。カタカナ表記で「キミノコエ」にしました。
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そういう言葉表現へのこだわりは、私もコピーライターなのでよくわかります。この仕事をする上で、どんなことに気をつけていらっしゃいます? |
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顔を見て仕事をするようにしています。IT化されて、確かに伝達手段は昔よりも格段に便利になりましたが、「体温のある制作」がしにくくなりました。近頃は、作詞家は歌い手の方へ詞を提供するだけの仕事が多く、特にレコーディングに立ち会ったりするわけではないので、まったくお顔をあわせないまま作詞した歌を歌っていただいていることもありますので。
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そういうものなんですか!すごく意外な感じもしますけれど。ところで小室哲哉が逮捕されたりで、音楽があんなふうにお金まみれになって売り買いされちゃうのが悲しいですね。小室ファミリーの音楽は、全然好きではなかったのに渡辺美里の「My
Revolution」は今も歌ってしまうけれど(笑)。 |
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私たちの仕事は、印税しか生活の糧になるものがありません。広告のプレゼンとかなら、ボツになってもいくらかプレゼン費が入ってくるものだと思いますが、歌詞はボツになったら1円にもならない。小室さんの音楽は、クラブ全盛期にコンピュータを駆使してできたダンスミミュージック。はじめは、都会のノイズのように聴こえたけれど、いい歌もたくさんありますよね。一時代を築いたのにあんな形になってもったいないです。
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「音楽の変遷」という点で、70年代、80年代、90年代、2000年代……今、ご自身の作品と合わせて、時代的にどんな変化がありましたか。変遷してきて良い点、嫌な点などあればぜひ教えてください。
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70年代は、洋楽が面白かった時代(勿論、後ほど洋楽のレコード聴いて、知った事もたくさんありますが)
日本のポップスは、プロデューサー中心に作詞家・作曲家・歌手が織りなす分業の時代。
80年代は、私自身、作詞の活動期に入りまして、アイドル不在時代の所に「たのきんトリオ」。松田聖子などのアイドルが誕生。80年代後半、『洋楽がこの頃、つまらなくなったね』等と生意気にも語っておりました。
90年代。日本の音楽シーンは小室サウンド。 私自身は歌詞を書かないシンガーソングライターの音楽家とのコラボレーション。その中にカズンとの「冬のファンタジー」があります。
2000年代。新しいミレニアム(この言葉ももう懐かしい)になって、歌の中での言葉の存在価値が薄くなった気がしますね。
アイドルと言う言葉もあまり聞かなくなった。インディーズアーティストが
自分たちの力でユーザーと時代の価値観を共有する時代。
先日の関内ホールでの秦万里子さん。面白かったぁ!! 膝叩いて、笑ってました。メロディーがとてもキャッチーなので、すぐに覚えられましたよ。あのライブ感、今の時代のニーズですよね。
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そうですね。秦万里子が来春1月に出すメジャーデビューアルバムは、ライブアルバムです。その場で話す彼女ならではのトークや奏でるメロディ、身近なテーマの詞の深さに聞き手は心を動かされるんです。ところで和子さんは好きな仕事を続けるにあたって、どんなことを信条にされていますか? |
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出会いは大切ですよね。仕事も人生も、殆ど出会いではないでしょうか?
長くおつき合いしている方々とは、年上、年下関係なくフレンドリーに!
音楽って上下関係が出来ると、作品がぎくしゃくする気がします。 人間関係があまりマメではないので。一期一会。
誠実に、心が伝わるようにと心掛けています。
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個人の名前でお仕事すると、人とのつながりがすべてだと痛感しますよね。では、これまで作った作品で一番思い出に残る歌と、それにまつわるエピソードとは?
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「ひまわり」。この歌は、少しも売れていないのに、歌いたいと言ってくださるシンガーが多いんです。世代、ジャンルも超えて。
カズンの漆戸くんの曲なので、カズンも歌っていますが、他に「大阪で生まれた女」で皆さんご存知のBOROさん。大親友です。
そして、今年9月にミニアルバムを出したSista Fiveも。
2001年にカズンが「ひまわり」を発表して以来、広島をはじめ各地の小学校から「合唱で歌いたいので譜面を送ってください」との問い合わせがコンポーザーの漆戸く
んに寄せられているそう。嬉しいですね。 「21世紀の童謡をつくろう」のコンセプトのもと、漆戸くんとのコラボレーションの中の代表曲なんですよ。
悲しい時は、思い切り泣いて、そこからまた「ひまわり」のようにあきらめずに前に向って行こうよ。そんなメッセージの歌です。
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作詞家だけでなく脚本とか、作家としてお仕事はされないのですか?言葉で世界を構築する仕事をしている
と、どんどんフィールドが広がってくる方もいらっしゃいます。逆に、こんなふうに考えているから音楽の作詞という分野だけに限定する、というお考えがあれば教えてください。
これからどんな作品を手掛けていきたいですか? |
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「哀愁でいと」など一連のアイドル作品を手掛けた後、一時、スランプに陥りました。その頃読んだ本の中に「一路に徹する」というのがありました。
北原白秋の歌人としての生き方を紹介された内容でしたが、その哲学に感銘したこと。
もうひとつは、私自身、あまり器用な方ではなくて。拡げるより深めようとしてきた。
ひとつの事がきちんと出来なくて、あれもこれもというのはどうかなと。
時代と逆行してますね(笑)。
そして、音楽(メロディーやサウンド)の中で生きる言葉、あるいは世界を構築するのがとても好きなのです。パートナーとしての音楽があったからこそ、30年間、歌の作詞だけでくることが出来ました。音楽が人生のパートナーのようなものですね(笑)
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これから手がけたいのは 21世紀の童謡シリーズをはじめ、歌い継がれてゆく歌。
たとえ作者は忘れられても、その歌が歌い継がれてゆくような・・・。 いいなあと思うアーティストは、Aqua
Timez。ボーカルの声と歌詞に込められたメッセージがすごくいい!
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ありがとうございました。
小林和子さん作詞のすばらしい名曲の数々。今回、代表作をいくつかお借りして聞かせていただきました。
この歌も?あの歌も?とビックリするほど幅広く、味わい深い詞ばかり。名作は色あせないもの。また、誰か歌ってくださらないかなぁ。
実は私12歳くらいの幼い頃、ラジオ番組のYAMAHAのなんとかコンテストという作詞部門にこっそり応募したところ入賞してしまい、ある日突然副賞のギターが送られてきたことが…(笑)。今じゃ絶対書けそうにない、こっぱずかしい片思いの気持ちをマロニエの木々の色彩が移り変わっていくことに託した歌。そんな一発屋(?)になれても、30年以上同じ道で創作し続けるのってすごく難しいことです。悩んだり迷ったりしながらの創作でしょうけれど、そんな苦労など微塵も感じさせず軽やかにお話しされる小林和子さんは、まさにプロフェッショナル!これからも素敵な歌を作り続けてください。
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