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【KAKERUインタビュー No.34】
2007年最後のKAKERUインタビューを飾るのは、作家・日原いずみさん。思えば彼女との出会いは、当時私が編集長をしていたベビカムに、デビュー作の書籍と共に熱い手紙をもらった4年前に遡ります。その本のあまりのおもしろさに打たれ、インタビューをさせていただきました。その後、第二子を懐妊中だった彼女に会いに、はるばる新幹線を乗り継いでおうちに遊びに行き、すっかり意気投合。それからも年賀状やメールで細く長く熱く!お付き合いを続けてきました。初対面から4年の歳月が流れ、お互いさまざまな時間を経て今秋、私の元に届いた彼女の新作「赤土に咲くダリア」(ポプラ社)をいっきに読ませていただき、前作以上に深く感動しました。この小説のおもしろさを少しでも多くの方に伝えたいと思い、今年最後のKAKERUインタビューを飾ってもらうことになりました。年末年始にぜひご一読いただきたい一冊です。新しい年へ向けて新たに行動をおこすきっかけになるかもしれません。二児を育児中の日原さんに、新しい小説に込めた想いをお聞きしました。
日原いずみ・作家 日原いずみ【Izumi Hihara】 
作家
ポプラ社「ポプラビーチ」
 / 日原いずみ公式Blog

1973年、愛知県生まれ。早稲田大学卒業後、テレビ番組のアシスタントディレクター、現代美術作家助手として働く。その間、子宮内膜症を患い三度の手術を経験。子どもを産めないかもしれないという思いを経て、結婚。運よく2人の子を授かる。育児中にブログを始め、発信する楽しさを再び味わい、今作のテーマとなったネタも多く執筆。現在は、執筆名も新たに出発し、ブログも新しくスタートし更新中。

家族は、夫、長男(5才)、次男(3才)。

 
お久しぶりです。この4年間、私は会社を立ち上げ、いずみさんは第二子を出産され…であっという間でしたが、今作「赤土に咲くダリア」を書くきっかけとなったのは何だったのですか。
 

独身時代、病気をきっかけに書いた処女小説が、群像新人文学賞で最終候補作となり、長男が1歳になったのを機に出版しました。その後次男が生まれ、いつかはまた創作を……と思いながらも兄弟の世話で思うように動けず、それでも書くことが好きで、不定期のコラムとしてブログを続けていました。
そこでの噴出具合が半端じゃなかった(笑)。育児や生活、夫婦のことや創作、社会のことなど、色々書きためたものが100を超えた時、ずっと支持してくれていた出版関係者の勧めもあって、かねてから興味のあったポプラ社に企画を送りました。最初はエッセイ集にでもなればいいな〜、いずれ絵本もかきたいな〜という軽い気持ちだったのですが、一般書編集部長さんが、ブログには書かずにいた「叫び」みたいなものを読み取ってくださって、「小説を書かないか」と依頼してくれました。

 
そういうご縁は本当に大切ですよね。いくら良い作品を書いたり持ったりしていても、その素晴らしさをわかってくれる人との出会いがあるか無いかで運命が変わりますし。ポプラ社の社長さんもユニークな方ですよね。
 
偶然ですが、社長さんも同郷の愛知県出身。たまたまこちらの新聞のインタビューで、ご自身の反骨精神や「昔の家族を取り戻そう」というお話をされていて感銘を受け、実は社長さん宛てに長〜〜いメールを書いて、本にしたい思いを送っていたんです。でも、間に入ってくれた方が長さにおののいたのか、2ヵ月くらい時間をおいてから、送ってくれまして。その間に、前述の編集部長さんがポプラ社に転職されてきて、運よく私の手紙を拾ってくださった(笑)。時期がはやくても遅くても、タイミングが合わなかったかもしれません。ブログでは抑え気味に色々書いていましたが、そこに書いてあること以外を書いて欲しい。血の色を見せて欲しいと言われまして……(笑)。
 
いずみさん、あっという間に2人のお母さんですが、まだ二人とも小さいから大変でしょう。創作の時間とか、どうやって確保されましたか?
 
4月にちょうど下の子を幼稚園に入れるタイミングで、小説の話が舞い込んで。第一稿は1ヵ月くらいで書き上げたんですよ。もちろん子どものいない時間にだーっと。久しぶりに一から小説を書くなんてできるか不安でしたが、育児で家にこもっていた間にずっと感じ考えていたことを伝えたい、まとめておきたい、という気持ちが強くて、マグマが一気に噴出したかのように(笑)。ずっと非凡な人生に憧れていましたが、平凡だと思っていた出産や育児のたいへんさと尊さに目からウロコの思いでいたので、どうしても外に向けて伝えたいと思ったんです。 編集者さんからも、「細かいことはどうでもいい。物語の骨格がほしい」といわれ、最後には腱鞘炎になるくらい、入れ込んで仕上げました。でも、出産や授乳シーンとか、ずいぶん前に小説にするつもりでもなくメモしておいた断片なども、今回使っています。へんな欲よりも、純粋に残しておきたかったんですね。
 
ある部分はフィクションでしょうけれどノンフィクションの部分も多いかもしれません。恋愛小説は多くても、出産した女性が生きている姿にスポットがあたることって作品としてあまりない。いずみさんが一番テーマにしたかったのは、どんなことでした?
 
今までの文学作品では、例えば堕胎を扱うものは多くても、出産や授乳に正面から向き合ったものはなかなかなくて、不思議だし、不満でした。ならば私が書こうと思いました。それと、井戸端の主婦の声って中々届かない。主婦の立場からの叫びを伝えたかった。日常から逸脱しなくとも、ふつうの暮らしのなかに血や修羅場や輝きは転がっていると思うし、多くの人が経験している生活や家族を続けていく覚悟や、大地に根ざしたエロス、女の素晴らしさを描きたかったですね。
 
なるほど「続けていく覚悟」ですか。でも、続けるのも止めるのも、人生の一過程における選択であって、どちらも覚悟が必要だと思う。覚悟なく、腹を括れないまま生きていると、どこかで後悔するのでしょうね。自分で背負う荷物は、自分で決めるしかないんですよ。荷物が重いか軽いかは、その時そうであっても先々も同じ重さとは限らないしね。ところで、「夫婦の絆」にはこだわりますか。こだわるとすれば、それはどうして?
 
夫婦の絆にこだわらずにいたいのですが、やはり子どものためにこだわってしまいます。子どもがいなければ、夫とはとっくに別れていると思う(笑)。もしくは、子どもが生まれてから夫婦喧嘩が増えたので、夫婦だけだったら仲の良いままでいられたのかも。たら、れば、を言っても仕方がないので、現在と未来を考えた場合、私にとって夫は、『子どもを育てるための同志』、という意味合いが強いです。生きものとして、次代のために、というのが第一かな。子どもが私にベッタリだった時は、「お父さんのことが嫌いなのかな?」と心配していましたが、少し大きくなった今はお父さんが大好き。私は夫に対して気に入らないことも多いけれど、 子どもが彼を必要としている以上は、やはり夫婦でありたいと思います。
 
本の中では、ひどい暴力をふるうシーンもありますよね。子どももお父さんが嫌いで。私自身、そういう甘えた男を見守ることができずに、捨ててきた過去があるのだけど。小説にする時、どんな風に彼を俯瞰から見れました?
 
小説はあくまでもフィクションなので、現実の夫は、登場人物よりもっとひどいところもあれば、素晴らしいところもあります。お互いに問題は多々ありますが、自分も親になって初めて、相手も人の子なんだと実感するようになりました。私も含め、みんな、過去からのつながりで今があるわけで。理想を言えば、夫の負の面も背負ってやりたいなあと。私も相当厄介な女なので、まさに割れ鍋に綴じ蓋です(笑)。 夫婦喧嘩シーン満載の小説ですが、息子たちが大きくなってこの本を読んだ時に、人間というものを大きくとらえて欲しいと思っているし、自分なりのとらえ方ができる子に育てていきたいです。
 
旦那さんとは刊行後、どんな会話をされましたか?
 
夫は「読まない、関知しない、仕事の話はするな」という男です(笑)。結婚前は処女作の原稿を読みたいと言っていたくらいなので、全く興味がないことはないと思いますが、前作も今作もブログも、一切読んでいません。そう言うと「隠れて読んでるんじゃないの?」と必ず言われますが、それは夫の偏屈、変人ぶりを分かってない方の意見でして……。本当に「白か黒」って人なんです。そこが長所であり短所なのですが。読めば気になるし、気に入らない点が出てくるのが本人も分かっているのでシャットアウトにしているんだと思います。強い人なのか弱い人なのか分かりませんが、よそからの声に動じないので、助かっています。創作においては、何ものからも自由でありたいと思っているので、放っておいてくれるのが一番。多少の寂しさはありますが、自由にやらせてくれることが一番の応援だと思っています。 
 
すごく旦那さんに対しても母性を感じますね。子どもを育てていることで得ていることも多いと思うけど。
 
子どもの成長は無条件でうれしいことだし、自分が子どもと共に成長し、ふくらんでいるという実感があります。独身の頃は自分ひとりのことで悩み、不安定になっていましたが、今は子どものことをどっしり包み、子どもの悩みと自分の悩みとを引き受ける器を必要とするので、否応なしに子どもによって鍛えられているなあと思います。とはいえ、気負わずダメな部分もあっさりさらしてますけど(笑)。
 
「家族の復活」とか「家族再生」とかテーマになっている小説もたくさんありますけれど、「赤ダリ」はものすごくかっ飛ばして女の物語になっているおもしろさがあると思うんですね。出産とか育児の話を生々しく盛り込んでいるのに、エッセイとか育児日記のレベルではなくて、「一人の女の生き様」という描き方が、すごく引き込まれました。主人公の女を核に、家族が成り立っているんだなと。
 
母親や自分への思いも込めたんです。現実を知らない男どもにも伝えたかった。個人的な話にならないように、細心の注意は払いました。例えば某女性誌の投稿内容みたいにしてはいけないとか(笑)。これからも勝負を賭けた作品をうみだしたい。夫は妻の成功を心底喜んでくれるタイプではないですけど。結婚前は「小説のことも応援する」って言ってたのにね〜(笑)
 
いずみさんは、作家でありながらも主婦という立場で。これから仕事をしたいんだ!という同志へメッセージをお願いします。
 
専業主婦なら子どもを見て当然、と思われがちですが、一日中子どもを見ている辛さは体験した分、身にしみて分かります。今は核家族だったり、夫の帰りが遅かったりで、お母さんへの負担が増えていますが、時には罪悪感を持たずに子どもをどこかに預けて自分のための時間を確保することが大切だと思います。
私の場合、夫婦だけで背負い込んだために、いっぱいいっぱいになって傷つけ合ってしまったので……。それでもベッタリ子どもを見た分、子どもとの絆は絶対強いと思うし、今は分からなくても、今後の子どもとの関係にいきてくると思います。

それから、家にいても社会に関心を持つことってすごく大切ですよね。今回出版社の人に「育児中の主婦はいちばん本を買わない層なんですよ〜」と言われ、周りでは新聞も読まない友達も見かけるし、私自身を振り返っても確かにその通りだと思いました。子どものための絵本もいいけど、自分のためにも本を読んだり、自分を高めたり、自分自身から大切にすることは大事だなあと思います。
私は経済的な自立より精神的な自立の方が難しいし、大切なことだと思っています。たいへんな日常をなんとか楽しみながら、母性と個性を両立させていつまでも成長を続けていきたいですね。
 
ありがとうございました。
この10年間、私には捨ててきた話が多く、仕事の忙しさにかまけて自分の心に蓋をつけ、わざと開けませんでした。逃げているのとも違う、見たくないから見ないままできた分、カビが溜まって掃除するのも面倒な感じ。でもそれが、「赤ダリ」を読んでカチッと音をたてて蓋が開いた気がします。光が差し込んで、荒れ放題の部屋の中を整理したくなったというか。なんだろう、この感じ。失われた10年を書いて取り戻せというおふれなんでしょうか(笑)? 子どもを背負って生きていく重みを、その尊さを改めて感じることのできる小説です。そしてもちろん、夫婦としての歩みも。たとえ立場の違う人が読んでも、ムキムキと心の底から新たな力が芽吹くような。そんな不思議な力をもらえる「赤土に咲くダリア」は、いずみさんの生命力そのものなのかもしれません。読ませてくれてありがとう!
そして2007年もご愛読いただきまして、ありがとうございました。来年も、皆さまにとって素晴らしい一年でありますように。2008年のマザールKAKERUインタビューも、どうぞお楽しみに!応援してください。
 

「赤土に咲くダリア」(ポプラ社)\1,470
若くして子宮の病気を患った時枝は、知人の紹介で、ある男性との結婚を決意する。時枝は奇跡的に子どもを授かるが、理想的に見えた夫は徐々に豹変していく……。

夢中が待っているストーリー&エッセイマガジン[asta アスタ]で『オニババ化する女たち』の三砂ちづるさんの絶賛レビューが掲載!

『普遍的な、女の物語』と題して、最後にこう語られている。
『時代が変わっても女たちが強かったから、人間はここまで続いてきた。これは、開かれた物語である。開かれた物語は多くの闇を引き受けてくれるだろう。誰もが心に抱える闇と葛藤。普遍的な成長物語として、多くの女性たちに届いてほしい。』

いずみさんの二人の息子

子どもらに対する思いが、この物語の芯にある

 

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