ちひろさんは絵本の作を手がけられるのはもちろんのこと、翻訳も、絵も描かれます。とっても多才でどれも素晴らしい作品ですが、そもそもこのお仕事をされるきっかけとなったのは、どんなことでしたか。 |
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小学5年生くらいの時、とにかく本が好きで、学校の図書室の本をたくさん読んでいました。そのなかで翻訳本があって、ある時、作者と挿絵の名前以外にも名前があることに気が付いたの。外人じゃない!日本人の名前だ!って。それが、翻訳者だったんですね。そういう仕事があると知って、がぜんやる気が湧いて「がんばって英語を勉強しよう!」となったのです。
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公立小学校から公立中学校へ進まれたんですよね? |
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子どもの本って案外難しいの。中学生になったら絵本の翻訳くらいできるかと思ったら無理でした(笑)。それで高校生になった時、アメリカのサンディエゴへ1年間留学をしました。当時、留学することが今ほどメジャーではなくて、文部省(現・文部科学省)やボランティアの方々の支援を受けて。その方面にウケがいいように「私はトランスレーターになって日米の架け橋になりたいです」とか言って。そしたら、それを真剣にうけとめた現地の方からもらうプレゼントはクリスマスも誕生日も英語の子どもの本ばかり! ベビーシッターをしながら、絵本の読み聞かせもしました。英語での読み聞かせ。リズム、言葉の意味、声に出して読むこと。これは後々になって役に立ちました。 |
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当時17歳くらいで1年間海外留学するのは色々な意味で大変だったのではと思いますが。英語はバッチリ習得されましたか? |
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いえいえそれがまったく(笑)。美術の先生がとても素敵な方で、言葉ができないものですからちょっとした逃避で美術室に引きこもり状態になって。テーマを自由に決め、1日2時間くらい、月〜金まで、紙や画材をたっぷり使えて贅沢な時間をひたすら寡黙に過ごしました(笑)。絵本のイラストをはじめて描いたのも、ラッカムやニールセンなど当時の日本ではあまり知られてなかったイラストレーターを教えてもらったのも、この美術室です。
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留学を経て、芸大にストレートで合格されただけでもスゴイ!ですが、そこからがまたユニークな道のりだったとか……。 |
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1年間留学させてもらったので、経済的に浪人はダメと親に宣告されて。何とか芸大に合格したものの、芸大では絵本のイラストレーションなんか論外でしたね。とくに入学したところがコンセプチュアルアート(概念芸術。前衛アートのひとつ)を学ぶ場でして、例えばコンクリートブロックをスケッチして、その存在と意味について……とか議論するの。難しいでしょう?(笑)
じつは子どもの本が好きだという人もいたけど、そんな話ができる雰囲気じゃないんだもの。ひそかに回し読みしたりして、まるで隠れキリシタン(笑)。
まったく相反する考え方でもの創り、ものの捉えかたをすることで、私は一体何をしているんだろう?と混乱し、ちょっと精神的にアンバランスになったこともありました。
今度の逃避先は図書館でして(笑)。そこで古典的な児童書『ムギと王さま』(エリナー・ファージョン作)におさめられている短編「金魚」を読んで、涙がぽろぽろこぼれて。
世界をまるごとほしがった小さな金魚の話なんです。子どもから大人への過渡期だったからこそ感じたものがあったんですね。
子どもの本と言いつつ、大人にも響く重層的な意味がある。作者は悲しい経験もたくさんしてきたのだろう、と。笑いのなかにも、ほろ苦かったり、涙でしょっぱかったり。子どもの本ってスゴイなぁ……と感じました。 |
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ちひろさんの翻訳は、日本語が研ぎ澄まされていて、なおかつ、ちひろ節と呼べるような独特の柔らかさがあります。そういう力を培われたのは、どんなお仕事で? |
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19才のときに、テアトル・エコーという劇団で、戯曲翻訳を始めました。学生ですから「はやい、うまい、やすい」って牛丼屋のキャッチみたいだけど、上演するかどうかの検討材料のために粗訳をたくさん手がけて。
ところがある時、血肉化している言葉というのかな。俳優の江守徹さんの翻訳された作品を知った時、目からウロコだったんです。英語を忠実に訳す、というのではなくて、こんなに大胆に核心をつかんでもいいんだ!と。言葉にはブレスがある。横書きの英語が、縦書きの日本語になり、空間に置き換えられ、息づかいにのるものなんだ、と。
翻訳のおもしろさに揺さぶられた瞬間でした。 |
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お子さんお二人育てながら、どんなふうに仕事を続けてこられました? |
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続けてこられたのは周囲が偉かったのかな(笑)。上の子を出産して夫の仕事の関係でしばらく大阪に住んでいたんですけど、授乳しながら劇団から依頼された不倫物ドタバタコメディを訳したりして。うーん、不純物入りのオッパイになるかもゴメンって(笑)。でも、子どもを産んで育てていることは、全部、作品づくりにいい意味でいかせていると思います。
というか、今となっては完璧に不可分になっちゃいましたね。最初の翻訳本が出版されたのは30歳の頃でした。 |
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ご子息も、魚の絵を描くのが大好きだったとか。ここから本題ですが、今回の新刊のひとつ「おえかきウォッチング」は大変おもしろく読ませていただきました。うちの子も絵を描くこと大好きで、おもしろい絵を描きます。「うちゅうじんがしんりゃくしてきた」なんてタイトルの……。 |
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大人はね、子どもの絵をとにかくほめてほしい。絵描きにするための絵ではない。その子のアウトプットの場を保証してあげて。子どもは絵で発散する時もあるんです。たしかに絵には子どもの気持ちや状態が表れるけど、いちいちそれにビクビクしないで。
何かに出せることは素晴らしいんです。子ども自身、新しい世界を創る楽しさを味わってるはず。ドキドキハラハラシーンでもね。本当の恐怖体験をすると描けないこともあるくらいです。絵は浄化作用があるのね。
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極端な話、絵を描くことで楽しい!と思える子がほとんどかもしれませんが、例えば体を動かすこととか、どんなことであっても楽しいと思えることをやればいいわけですよね。 |
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描くことで喜びを感じてるようなら、ひたすらほめて見守ってあげてほしいです、他人になんといわれようとも。小さな時に、どんな「快楽」を味わったかで、その後の人生に求めるものが変わってくるように思います。だからといって無理する必要もなく、親が楽しいものを子どもと共有できれば、それがいちばんですよね。親子なんだもん。 |
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この本を通じて一番メッセージしたいことって何でしょう? |
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これは、お母さんが子どものやっていることを肯定するための手引書なんです。
へーえ、うちの子のやってることってすごいんだわ〜と、ほめやすくするためのアンチョコみたいなもの。子どもの成長ステップの一つひとつを丹念に見られるのは、傍にいる大人の特権。うちの子も、隣の子も、同じことをやっているけれど、うちの子はこういうところが☆☆☆だわ!という発見があるはずです。
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そういう発見って、子育て中に実感できる貴重な体験ですよね。「絵本は一冊で三度おいしい」ということを言われてますね。 |
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良い子どもの本は一冊で三度おいしい、です。人生で三回くらい、ちがった味わい方ができるということ。
一度目は子ども時代の、その本の適齢期に。誰かに読んでもらってもいいですよね。
二度目は思春期とか、巣立ちの時期とか、何らかの曲がり角の時期に。子どもが生まれて親になってからでも。懐かしいし、ちがった発見があるはず。かつて夢中になって読んだ幼い自分の姿も見えたりするんです。
そして三度目は、うんと年を取ってから。深い味わい方ができる。こんなこと、大人向けの本にはマネできないでしょう。子どもの本は、とてもシンプルに真実を切り取ってみせるから、いくつになっても心に響くんですよ。私自身、80才を過ぎた方からの愛読者カードは宝物。なにかと忙しい最近の中学生にも、絵本や子どもの本を読んでほしいな。
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新作「ロボットとあおいことり」で、ディヴィッド・ルーカスの訳を手がけられました。これは、大人が読んでとても心に沁みるお話。読み手にさまざまな思いが交錯して泣ける人も多いのではないかと(私も涙しました)。ちひろさんとしては、どんな想いを込められて作品を訳されましたか。あるいは、どんな人に読んでほしいとお考えですか。
これはラブストーリーなんです。働きすぎて心臓がこわれて胸がからっぽのロボットと、南の国にわたりそびれた小さな青い小鳥の。ちょっとオズの魔法使いや、幸せの王子みたいなおとぎ話だから、もちろん、まず子どもが楽しめます。でも、心理描写がとても細やかで、ああ、誰かを好きになりはじめるってこういう感じだよなと思える。男女の愛と読んでもいいし、そういうものとまったく違う愛とも読める。結局、人生には、名前のつけがたい愛がたくさんあるよな……と。いろんな愛の、華やぎと、あったかさと、哀しみをしった大人の方もぜひ……かな。(これぞ、一冊で三度おいしい本の見本です)
ありがとうございました。
活字におこせないくらい、たくさんお話しをしてくださって、そのどれもが深い。全部つながっている。ちひろさんという人は愛に溢れている。と思います。優秀な成績を修めていらしたであろう学生時代は、きっと優秀ならではの葛藤がおありだったのでしょうが、その苦しみが全部作品のやさしさに反映されているように感じました。創作絵本は、これから私も形にしていきますが、十歩以上先を歩かれている先輩の背中がせめて見えるよう、頑張ります。
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