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【KAKERUインタビュー No.25】
映画「TOKKO−特攻−」の上映会が早稲田大学・小野記念講堂にて7/19(木)開催されました。そのコーディネーターとして仕切ってくださったのが今回ご紹介する早稲田大学法学部・水島朝穂教授です。水島先生のご専門は憲法学。憲法研究者として、第一線で論戦をはっていらっしゃいます。目が覚めるようなお話のスピードとボキャブラリー、そして論点の明快さで、ぐいぐいと聴衆を惹きつける話術で、誰でもたちまち水島ワールドに引き込まれてしまいます。97年から10年以上も毎週「直言」というかたちで、HPで情報を発信し続ける熱意には 頭が下がります。「TOKKO−特攻−」へのコメントをはじめ、憲法について、そして学問を志したきっかけをお尋ねしてみました。
水島朝穂【Asaho Mizushima】 早稲田大学法学部教授・博士(法学)
HP「平和憲法のメッセージ」http://www.asaho.com

1953年生まれ。早稲田大学法学部教授。専攻は憲法学、法政策論、平和論。日本国憲法の平和主義を発展させつつ、軍事についての豊富な知見を生かし、“軍事中毒”に傾斜する政治動向を痛烈に批判する一方、平和憲法に基づく国際協力、人間の安全保障への道を積極的に提言してきた。とくにその講演は、新鮮な切り口と絶妙な語り口、事例・話題の豊かさで定評がある。著書に『現代軍事法制の研究』(日本評論社)『この国は「国連の戦争」に参加する のか』(高文研)『憲法「私」論』(小学館)『武力なき平和』(岩波書店)、共著 に『沖縄・読谷村の挑戦』(同)『戦争とたたかう』(日本評論社)、編著『ヒロシ マと憲法』『オキナワと憲法』『世界の「有事法制」を診る』(以上、法律文化社) 『新六法2007』(三省堂)ほか多数。 NHKラジオ第一放送「新聞を読んで」レギュラー。

 
 
「TOKKO」は他の特攻隊映画とはまったく違う作品とお話しされていましたが、他とは何が違う点と思われましたか。
 

結論が見えている、制作者の強い想いが投影している、あるいは感動させるように作られているシナリオではなく、非常にパーソナルなアプローチで撮られている。監督のリサ・モリモトが、アメリカ人であること。日系人であること。39歳の若さであること。そして女性であること。これらの要素が合わさって、個人の声を素朴に引き出すことができたのでしょう。日本人が撮ると、日本の側からだけの視点になりますが、このドキュメントの優れた点は、特攻隊の生き残りの方々だけでなく、彼らと戦ったアメリカ兵も登場していたこと。アメリカの元兵士も、9.11やイラク戦争があったことで国家を相対化して語れるようになった。日米の当事者たちが、国家の呪縛を解かれ、「心の軍服」を脱いで、同じ人間・個人として向き合うことができた。すべてが偶然にかみ合った奇跡的な作品だと思う。(「TOKKO」公式サイトに掲載されている先生のコメントはこちら

 

日米双方の視点からつくった「特攻隊」はなかったわけですね。戦争映画の描き方としては異色です。

 
どんな事柄も100%正義と100%悪魔の二者ではない。戦時中は、抵抗すれば刑務所行きでしたから、沈黙していた人がほとんどでした。そして、こっそり軍部の意向を裏切るような人だっていた。つまり、体制は個人を完 全には管理しきれないということです。 戦争の描き方も、白か黒かではない。「TOKKO」で優れているのは、そういう生身の人間の声があることです。特攻機の中で「もう帰ろうや」「賛成、帰ろ帰ろ」というやり取りも、生きたい意志が感じられます。個人が主張できない社会は間違ってしまう。屈折した中でも主張したい人はたくさんいる。それを自然にさりげなく表現しているのがよかった。
 
先生は憲法研究者として、第一線で論戦をはっていらっしゃいます。憲法が変わることによってこの国はどうなってしまうとお考えですか。
 
憲法が変わったから急に何かが起こる、というものではありません。でも、憲法は国民皆が国家に守らせるものなのです。過去の歴史をみてもわかるように、国家は暴走するもの。だから権力を縛るルールをつくることは必要なのです。人間は間違える動物です。その人間の特質を理解し認識して作られた制度です。
その憲法で、平和のありかた、つくりかたの形を示している憲法第9条2項が変わることで、具体的にはどうなってしまうのかとかといえば、大きく分けて3つあります。
一つめは、外交上で何か問題が発生したときの対処法に、「武力」による威嚇という手段が加わります。武力によって実現する軍事的な合理性を普通に認めてしまうことになる。軍事力の投入では、紛争は決して解決しないのです。二つめに、平和のベースである「自由」がなくなります。現憲法は、武装のあり方だけでなく、自由のあり方をも定めている。軍が中心的な発言権をもつと自由のあり方が歪みます。三つめに、アジアの中での位置、信用を失う。憲法は、その国の対外的な形を示す国際公約でもあり、その原則には、国家がやってはいけないことが明記され、誰が政治を行なっても、よしんば暴走しても、最小限の失敗ですむように設計されているのです。
 
現在、改憲の必要性を論じる方々もいらっしゃいますが、ズバリ、憲法改正については、先生はどのようにお考えですか。
 
96条には「改正」の条文もあり、その意味では、改正自体は憲法が制定された当時から、設定されていなかったことではない。しかし、憲法は本来、国民が守る規範ではなく、国家権力を縛る規範であることを忘れてはいけません。もし変えるのなら、第一に高度な説明責任が必要。第二に情報が提供され、自由な討論がされないといけない。第三にゆったり、じっくりとした十分な期間が与えられないとならない。この三つを欠いた憲法改正は、改正の「作法」にかなっていません。
 
ここまでお話しをうかがってきて、憲法オンチな私でも先生の見解はとてもわかりやすいです。先生が学問を究めようと思われたキッカケは何でしたか。
 
モノに対する好奇心でしょうか。幼少期に、獣医だった曽祖父の物置にあった珍しい馬用医療器具をおもちゃにして遊んだのが原点ですね。歴史でいえば、信長や秀吉、家康よりもマイナーな地方大名の戦略に興味を持ったり。自由研究が好きで、中学2年時には人魂(ヒトダマ)の研究をして、目撃者10名の証言を集めて寺に張り込んだり。面白いと思ったらとことん探る。ワクワクしないと気がすまないんですね。
生まれ育った府中市には米軍基地がありました。5歳の頃、米兵が酔って店を壊すのを見て警官を呼んだら、やってきた警官は彼らを遠くから見て、たじろぐだけでした。この瞬間に占領の力関係を悟りました。ですから、軍事基地への違和感、僕の平和志向は、頭で考えたものではなく体に染み付いたものなんです。 (くわしくは著書『憲法「私」論』も)
 
幼少時代からの性格や考え方が、そのまま今につながっているのですね。先生は大学院生時代、小学校教諭をされていた奥様と一緒に子育てをされていらしたのですが、当時はどのようなお気持ちで育児に関わっていらっしゃいましたか。また、その時の経験を今どのようにいかされていますか。
 
大学院時代は長男のオムツを取り替え、ミルクをやり、育児と家事をしながら勉強をしていました。同年代の友達は、皆リクルートスーツに身を包んだ社会人でしたから、保育園に子どもの送迎にいっても常にラフな恰好の僕なんかは、定職についていないと思われていたんじゃないかな。当時は「今に見てろよ」という気持ちもありましたね。
ある時、長男の通っていた保育園で、熱性けいれんを起こした子どもが適正な処置を受けられなかった事故がありました。そこで、二度とこのような事故が起こらないために、「保育所の安全を求める会」を多くのお母さんたちと一緒に結成して、その会長を務めました。たくさんの方へ取材して、当時、ガリ版でレジュメも作成し、事故が起こるまでの時間の経緯などもすべて調べて、市への交渉役もしました。
そういう活動にエネルギーを注いでいた時期、札幌の大学から助教授のポストへ声が掛かりました。でも、保育所の事件に全力をあげていたので、「最近書いているのはこれです」と、私が編者となってまとめた保育所事件関係のパンフを論文業績の一番上に置いて提出しました。結果、それで採用となった。だから、一つひとつの出会いがすべて次につながって、今に至っていると思います。
 
先生は早くからパソコンやインターネットを導入されていたようですが、基本的に物事への真摯な取り組みはまったく変わっていらっしゃらないですね。そういう意味で、早稲田大学の学生たちの印象は、時代の変遷と共にどんなふうに変わっていますか。あるいは変わっていませんか。
 
学生は変わっていないと思います。取り巻く環境や時代はもちろん違いますけれど、むしろ親のほうに変わってきた部分があるように感じます。例えばテストの山が外れて、本人が何か疑問や質問があるなら応じますが、親が電話をしてきて「どうしてうちの子の山が外れたんですか!」と文句をいってきたり。モンスターペアレンツの問題は小学校だけでなく、大学にもあります。社会の変化のなかで大学も変わらないといけないけど、変わりすぎてもいけないのです。 
 
私も今年PTA役員をやっていますが、いろいろな方がいらしてびっくりします。では、これから法学を勉強・研究したい30〜40代の女性に向けてメッセージをいただけますか。
 
学ぶことに年齢は関係ありません。私は40歳のときに迷ってばかりいたので、 孔子の「論語」でいう「40にして迷わず」ではなく、10年寿命がのびたと考え、「40にして立つ」と自分で納得していました。そうすると、25にして学に志し、ということになります。
15歳以降、浪人しようが、何年留年しようが、大検で入ろうが、25歳くらいから、本当に勉強がしたくなる。これが本当の「学に志し」、です。だから、 30、40の女性たちが法学を学ぼうというのは、まさに人生に「立つ」ための重要な勉強です。人生は長いですから、学ぶことで遅いということはない。大学院の入学式でも挨拶をしたのですが、「自分の信じることをやりなさい」と。つまりそれは「自分にレッテルを貼るな」ということです。がんばって、勉強してください。
 
ありがとうございました。学生時代、憲法の授業はあまりマジメに受けてこなかったせいか、先生の切れ味冴える憲法のお話に魅了されました。何事にも全身全霊で研究なさる先生。後年に残るお仕事をコツコツと続けてこられたのです。先生の熱意にふれて、たくさんの学生が卒業後、国や地方などさまざまな現場で活躍しているというのも納 得です。私も法学部出身ですが、もう一度大学で勉強したくなりました。
 

水島先生の著書を
一部ご紹介します

憲法「私」論
〜みんなで考える前に
 ひとりひとりが考えよう〜
(小学館) \2,100

 

オキナワと憲法
〜問い続けるもの〜
(法律文化社) ¥2,835

 

同時代への直言(高文研)\2,205

 

改憲論を診る(法律文化社)\2,100

 

現代軍事法制の研究
〜脱軍事化への道程〜
(日本評論社)\7,245

 

三省堂新六法(2007<平成19年度版>(三省堂)\1,680

 

世界の「有事法制」を診る(法律文化社)\2,730

 

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