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【KAKERUインタビュー No.24】
先週に引き続き今週も映画「TOKKO−特攻−」(英語ではWINGS OF DEFEET)特集インタビューをお送りします。
今回は、映画の監督を務められましたリサ・モリモトさん。リサさんは渡米した日本人アーティスト夫妻の娘としてNYで生まれ育った日系二世。外見は日本人に見えますが、アメリカでの教育をうけてきた方です。大好きだった親戚の叔父さんが亡くなってから、実は特攻隊員だったことを知り激しくショックを受け、その衝撃から今回のドキュメンタリーが始まりました。アメリカでのKAMIKAZEは狂信的な行動の象徴と捉えられているが、何も語らずに亡くなったあの叔父さんがそうであったとは思えない。特攻隊とは本当は何だったのだろう。リサさんは親族や特攻隊員の生存者たちにカメラを向け、驚くべき体験談に耳を傾けてきました。前半とあわせて引き続き、後半もお読みください。
リサ・モリモト【Risa Morimoto】 監督・プロデューサー
『TOKKO−特攻−』オフィシャルサイト

日系二世として、NYで生まれる。京都の同志社大学でも学んだ経験のある彼女は、1999年にニューヨーク大学の映画と教育学の修士課程を卒業。2001年から2006年までメディア芸術の非営利団体"Asian CineVision"の理事を務めている。98年に最初の長編映画"The LaMastas"をプロデュース。以来、映画とテレビを中心に製作・脚本・監督を務めてきた。アジア映画を紹介する30分シリーズのテレビ番組"Cinema AZN"では、テレビ関係の賞を受賞している。『TOKKO−特攻−』ではプロデューサーのリンダ・ホーグランドとコンビを組み監督兼プロデューサーを務める。

『TOKKO -特攻-』
Wings of Defeat
生きたかったよ 死にたくはなかったよ


1945年春、アメリカ艦隊を攻撃するため片道分の燃料だけを積んで飛び立った特攻隊の兵士たち―。自身の叔父が特攻隊員の生き残りであったことをその死後に知った日系アメリカ人監督リサ・モリモトが、自爆テロを「カミカゼ攻撃」と呼び、狂信的な自殺攻撃を日本の「TOKKO」とイメージを重ねる米国の風潮に違和感を持ち、その生存者たちへの取材を重ねました。そこから引き出されたのは個人に非情な犠牲を強いた当時の状況、そして現在だからこそ聞くことができる彼らの偽らざる心情です。特攻隊による攻撃を受け沈没した米軍艦乗組員の証言や日米双方の貴重な資料映像も交えながら、狂信的でもなければ軍神でもなかった彼らの姿が浮き彫りにされる様には衝撃を受けずにいられません。カナダ・トロントで行われた北米最大のドキュメンタリー映画祭のプレミア上映でも多くの反響と衝撃を呼んだこの作品が、急遽日本公開される運びとなりました。

2007年/USA・日本/90分/カラー/DβCAM/原題:Wings of Defeat
監督・プロデューサー:リサ・モリモト
プロデューサー・構成:リンダ・ホーグランド
編集:マヤ・スターク                       (C) Edgewood Pictures, Inc.
 
リサさんはNYでお育ちになって、アメリカ人として教育を受けられました。第二次世界大戦、あるいは特攻隊というのはどんなふうに受けとめていらっしゃいましたか。
 

私にとっての太平洋戦争のイメージは、日本人が奇襲攻撃したパールハーバーです。毎年12月8日真珠湾攻撃の日は、学校でいじめられないかと怯えたものです。特攻隊というのは、軍艦に喜んで体当たりして自爆する狂信者だと信じて疑いませんでした。

 

親戚の叔父様の死後に特攻隊員であったことをお知りになって、衝撃を受けられて取材を始められたのですね。

 
自分がイメージしていた特攻隊とは違うのではないか。本当はどうだったのだろうと思い、元特攻隊員の方々を探して取材をさせていただくことにしました。それでお会いしてみたら狂信者どころか、皆さん穏やかで思慮深く、時に感情を露にする一人の人間でした。皆、当時は優秀な若者でした。彼らは自分たちの体験してきた恐怖、矛盾した感情、愛国心、生き残ってしまった死者への悔恨などすべてを打ち明けてくれました。
 
この貴重な4人の証言を核に、膨大な資料探しをされたとか。
 
私はワシントンの国立ライブラリーの数百時間の映像フィルムと莫大な数の写真を閲覧しました。そしてアメリカ人の元兵士(撃沈させられた駆逐艦ドレッグスラー号)を取材して、当時の特攻隊のエピソードをヒアリングしました。一方でリンダは日本語に精通しているので、日本側の書籍やアーカイブ資料、当時の貴重な写真などを集めました。今回、初めて一般公開されるものもあります。
 
いまさら「特攻隊」という方もいらっしゃいますが、どんな方にこの映画を観ていただきたいですか。
 
日本中、世界中の若者を気にして作りました。ペースも速い、音楽も多い、アニメーションも使って、グラフィックも遊んで、「ああ、また歴史の授業か……」と言われないよう退屈しないつくりにしました。
10年前に、こういうインタビューはできなかったと思います。彼らの中でも機が熟していなかったでしょうし。人生には限りがありますから今度は免れないと。それでも特攻隊の体験を話すことに相当な葛藤があったと思います。最初は取材を断ってきたけれど、奇跡的にOKをいただけてインタビューはできた。溜め込んできたことをわっと吐き出して、後からやっぱりそれは使わないで、、、とか。。
 
いろいろな思いが交錯されたのでしょうね。インタビュー素材たくさんの中から、どうやって残す素材を選ばれたのですか。
 
実はもう一人ここにはいない天才で、マヤ・スタークというイスラエル人の女性編集者がいます。イスラエルでは男女とも徴兵制度があり(17〜22歳の間に男3年・女2年)、彼女は2年間軍事体験をしています。自国がしょっちゅう戦争をしているから、そういう戦いには非常に厳しい目をもっています。センチメンタルは一切なし。
インタビューする時は脚本がない分、どんな映画になるかわからない。それがドキュメントです。ですから編集で日々だいぶ変わって映画の作品となりました。リサーチしながらインタビュー素材で使えそうなものと差し替える。何十回、何百回と構成変えをしました。 私たちが探した証拠はそこにいた生身の人間が語ること。信頼できる歴史学者が語る事実などを頼りにしました。Wiki(ウィキ)では知りえない素材を探したのです。
 
私はこの映画をみて、自分自身が日本の歴史をまったく知らずにいたことを恥ずかしく感じました。
 
日本人が見ておくべきなのは中国映画「リーベンクイズ」(中国タイトル:日本鬼子)という題名の映画です。中国兵は日本兵をこう呼んでいました。中国では山奥に行くと日本人のことをこう呼びます。日本人がやってきた悪事、略奪、強盗、強姦…あらゆる悪事を描いています。字幕入れるの耐えられませんでした。軍隊のビンタ文化は、人間扱いされていない分、中国人のことも人間扱いしなかった。今の日本独特の陰湿なイジメは、軍隊が尾を引いていると思います。年功序列なんて何の意味もないです。(だから私は自分の年齢も非公表(笑)と相方のリンダ・フォーグランドさん)。それと、知らないことは勉強しましょう。出典もクレジットに載せてますので参考にしてください。
 
この映画は太平洋戦争のことでありながら、すべての戦争の話につながっています。
 
戦争は巨大な偽りのもとに進むのです。敵は人間ではないとして継続し、負けた国は証言しない一方で、勝った国は英雄扱いされて何も語らない。そして戦争の真相が埋もれてゆく。
 
今後はどのような展望がおありですか。
 
「TOKKO2」があるかも(笑)。これから1〜2年掛けて世界進出を考えています。ヨーロッパではDVD販売、アメリカでは劇場配給を考えています。韓国では上映が決まりました。オーストラリアや台湾からも関心をもっていただいています。これからがまさに正念場。映画を通じて、なぜ今も戦争が起こるのか、戦争が繰り返されるのかを考えることにつながればと考えています。
 
ありがとうございました。
日米双方の視点から太平洋戦争が語られた映画、しかもドキュメンタリーというのは初めてだと思います。壮絶な体験を超えてきた方だからこそ話せる言葉の一つひとつが胸に刺さりました。太平洋戦争の話が現代のイラク戦争にも多くの共通項があることに気付きます。私は開始5分後からずっと涙腺が緩みっぱなしでした。戦争についてだけでなく、命について、生きることについて改めて考えさせれました。19日(木)14:40〜早稲田大学・小野記念講堂にて学生対象に上映会が行われます。映画に出演した特攻隊員の生き残りの一人、上島さんもゲスト出演されます。いまの20歳前後の若い人たちが映画を見てどのように感じるか、とても聞いてみたいところです。
 

 

朝日新聞「ひと」に2007.6.11掲載

 

AERA2007.7.2号に掲載
「19歳に見てほしい」

 

読売新聞(夕刊)
2007.7.4掲載

 

読売新聞(夕刊)社会面
2007.7.10掲載

 
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