一般公開に先駆けて『TOKKO−特攻−』の試写を拝見しました。とても心が震えて、素晴らしかったという言葉が陳腐に聞こえてしまうくらい、考えることが多く、心に染み込む映画でした。製作にはどのくらい時間が掛かりましたか。 |
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映画に収めた取材の100倍分(笑)。インタビューはおよそ80時間。アーカイブ(映画素材)探しは100時間くらい。撮影は約10週間。それから編集作業に時間を費やしました。
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登場された皆さんは、完成した映画を御覧になってどのようにおっしゃってましたか。
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アメリカ人元兵士はショックを受けていました。彼らはKAMIKAZE【カミカゼ】特攻隊を撃ち落していた人間ですから。「俺たちは嘘をつかれていた」と。KAMUKAZE【カミカゼ】は人間ではない人間で、狂っているから撃ち落とせと言われてきたのに、自分たちと同じティーンエージャーで、家族を守ろうとしていた若い坊やだった。それなのに殺してしまった。とにかく死ぬ前に特攻隊で生き残っている彼らに会いに行きたい……と。
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私が映画の中でとても印象に残ったのは、中島さんという方が「別になんていう目的はなかったけれど、生きたかったんだよ」と語られた言葉にすべてが詰まっている気がしました。もしかすると正直にお話されるその言葉に、嫌悪感を示される方もいらっしゃるかもしれません。けれど、良くも悪くもそれが本音だったように思うんです。 |
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彼が軽々しくそれを言っているわけでないという裏づけのために、広島や長崎から、アメリカ人がまだ見たこともないような埋もれた資料を探し出して、高い価格で買いました。なぜって、それがないとその言葉のもつ意味、深刻さは伝わらないからです。
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そうした資料を探されて、内容を確認して、価格の交渉をされて……全部おやりになったわけですね? |
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もちろん、他に誰もいません(笑)。日本のアーカイブ素材屋さんは大半は高いのですが、こちらも予算がないものですから買う際に分割で支払いをさせてほしい旨、お願いしました。商業映画になる前と後で半分ずつと。ところが思わぬほど早く「TOKKO-特攻-」が映画になったので、年末まで支払いを待ってもらっているような状況です(笑)。でも、それだけの労力を掛けても貴重な資料ばかりです。特攻隊で飛行機に乗り込む直前の写真ですとか。まずありませんから。 |
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見たこともない資料というのは、どんな方がお持ちでいらっしゃるのでしょう。 |
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個人所蔵です。娘さんや息子さんが写真を管理されていることが多い。それで膨大な資料をもとにwebサイトもされていたり。アクセスしやすくデータファイルの管理もされている。インターネットがなかったら、この資料は集められませんでしたし、作品も仕上がらなかったでしょう。 |
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ということは、NYにいらっしゃるお二人がネットで検索して日本で資料を所持されている方を探したわけですね?
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そうです。東京大空襲の写真は当時、警官の職務だった方が撮影したものです。当時、写真は貴重でしたし、一般人が街中を撮影などしていたら非国民扱い。戦況が悪化していることを悟られては困ると思われていました。NYのコロンビア大学にはイーストアジア図書館というのがあって、そこで写真集や戦時中の新聞の見出しとか全てあるのです。
でも、探そうと思えば探せるものです。私たちは天才でも何でもありませんから。ただ、はじめにこの映画のテーマとして「歴史」そのものを扱うつもりはなかったんです。 |
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そもそものテーマは、どういう点にフォーカスした映画を作られるおつもりでしたか。
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4人の特攻隊生き残りの方たちの話を引き出したい、というのが最初にありました。神風【KAMIKAZE】は狂信的な行動の象徴と捉えられることが多く、特に9.11NY同時多発テロ事件以降は、自爆テロと特攻隊を結びつけて語られることも増えてしまい、そんなイメージを払拭したかった。普通の戦争ドキュメンタリーならもう他に作られていますが、この特攻隊生き残り4人の話は、どこにもまだ出ていないと思って、それがコアとなって歴史がそのベースになると考えました。
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戦争映画はたくさんこれまでも作られてきましたが、特攻隊生き残りの個人が話すのは初めて拝見しました。誰かが脚本を作った「お話」ではなく、リアルな個人的体験を通して語られる戦争が、この時代に多くの思いを投げかけています。 |
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テンションが高まる映画にするには、あれもこれも入れ込むわけにはいかない。歴史の話ではありますが、今だから語れる歴史です。この時代の中で、初めて心を許して話せて、真相を明かしてくれた。スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんも試写を御覧になっておっしゃっていましたが、「特攻と聞いて、今さらながらと思ったが、映画を観て驚いた。よくぞこんなジジイが生き残っていて、話を聞けたものだ。こんなジジイは初めてだ」と。 |
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4人の方と取材を進めていく上で、胸襟を開いてお話しできるまでも時間が掛かりませんでしたか?これまでご家族の方にも言わずにきたご自分の過去を今、こうして隅々まで思い起こして話されるまでの葛藤など……。
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ひとつは、監督のリサのおじさんが特攻隊の生き残りで、何も告げぬまま亡くなった。死後におじさんが特攻隊にいたことを知ったリサがおじさんの足跡を追って日本を訪れた。リサは外見、日本人のようですが中身はアメリカ人ですし、日本語も拙い。でも、取材をしたい事情を聞いて、まったく知らない相手ではないし、それならお爺ちゃんが話してやろうと思ってもらえたのかもしれません。彼らの「遺言」的な意味もあったと思います。現段階で、4人のうちお二人の方は、「もう取材は受けない」と言われています。ご高齢ですし、体を壊してまで取材を受けることはできないでしょうから、私たちも遺言状を授かったような気持ちで、非常に誠実な気持ちで編集し構成してきました。
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この映画はアメリカ人にとっては、あるいは登場してもらった方には、どのように受け取られていますか。まだ試写の段階かもしれませんが。
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アメリカ人は天皇の姿がブッシュに、特攻隊の姿がアメリカ兵の姿とオーバーラップするようです。戦争そのものとは、
どういうことかを取り上げたかったのです。その比喩としてTOKKOを描写したという意図があります。もっともカナダの
上映会では、ただただ皆さんショックを受けていたようで、イラク戦争にも当てはまることはイメージできなかったよう
ですが。
もう一つのねらいは、私自身、日本で生まれ育って特攻隊のことはある程度知っていたはずでしたが、取材を進めるうちにあまりにも知らないことが多かった。ほとんど何も知らない若者が神風特攻隊になった。志願したものはいなかった……そういう事実を知って、死んでいった方々を敬いたいという気持ちが強くなりました。ですから靖国神社も入れていません。その葬り方は私たちが思う葬り方ではないからです。私たちは、こうした作品を通じて彼らの死を弔いたい。ですから、登場していただいた皆さんに「よかった」といってもらえるのが一番うれしい。
(※次週、監督/プロデューサーのリサ・モリモトさんのインタビュー記事へ続きます) |
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この記事で話されている日本語、ほとんど未修正です。ものすごく流暢な日本語でお話しされ、語学力もさることながら歴史の知識も半端な勉強量ではありません。リンダさんは日本の映画翻訳界でいえば、戸田奈津子さんのような立場。ニューヨークで上映される日本映画の字幕はほとんど手がけられている大御所の翻訳家です。7月30日(月)の夜11時〜NHK「英語でしゃべらナイト」にも、かの戸田奈津子さんと共にリンダさんが出演されます!(16日(月)が変更となりました!)日本人ではないけれど、日本の心も歴史もよく理解されているからこそ、温度の高い、人に伝えられる言葉で表現できるのでしょう。13日公開のインタビュー後編もお楽しみに!
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