---ゲームは脳を破壊する?!
子どもの環境づくりに親の信念が問われる |
余談から始めて恐縮ですが、インタビューに同行させた愚息は岡崎さんの息子さん・
太賀(たいが)くんと同じ小学2年生。某有名私立小学校へ通う太賀くんとは、文化圏が違う中で育っているのを私が痛切に感じたのは「ゲーム」についての考え方でした。
太賀くんはコンピュータゲームを持っていません。私立でもお友達は「ゲームをやっている子が半分を占める」といいます。地元の公立小へ通う愚息は友達の9割方が同じゲームを持っています。できることならゲームから離れてほしいのですが「そればっかりで遊んでいるわけじゃないから、まぁいっか。そのうち熱も冷めるだろうし」という私は非常に楽観的かつアバウトな親であります…。
コンピュータゲームに関わらないポリシーは、岡崎さんの著書にも書かれています。
ゲーム脳は認知症と同じような脳波の活動状態が脳で起こっているそうです。常に脳の中が部分的に興奮状態、部分的に活動低下、これによって最終的な意思決定に困難を与えるとのこと。また、ゲームのために運動不足・睡眠不足・コミュニケーショ
ン不足など、子どもに悪いことばかり。特にゲーム脳とよばれる脳波の活動性の低下
現象は低年齢でゲームを始めるほど危険性が高いそうです。(P54より抜粋)
「クリスマスに学校でプレゼントに何が欲しいですか?というアンケートを取ったんです。本、ゲーム、その他の三択で。結果は3分の2の子がゲームを選んだ。うちの子にゲームを与えるのも本当に迷うところ。でも、ゲームの悪影響を避ける対応として考えられるのは、ゲームやテレビに偏らないよう生活習慣を心がけること。そして癒しの時間と場所をつくること。そういう意味でクラシック音楽をおすすめしたいのです」
ゲームは子どもにとって百害あって一利なし。しかし、私のように惰性で与えてしまっている親が大多数の中、毅然とした態度で子どもに接するのはとてもエネルギーが必要なこと。普通はそこまで労力を裂くのが面倒だし、明確に定義される「よいもの」に触れてこなかった曖昧な人が大半だと思う。
逆にいうと、よいものとわるいものの混在する世の中で、悪いものにも触れて自分で判断できるようになれ、という、
ちょっと乱暴な方法でもある。ゆみさんは「悪いものに触れる体験は、いくらでもこれからの人生であるのだろうから、10歳までは親が与えることはない」と語ります。ゆみさんの場合は、徹底的にピアノを身につけた人ならではの子育て観が確立されているのだと思います。
幼少時のゆみさんの天才ぶりや「なるほど!」というエピソードも著書に盛り込まれ
ているので、ぜひ堪能して読んでいただきたいです。 |
---聴く音楽で子どもは変わる?
良い子の定義とその子の資質 |
インタビューしている間、ずっと感じていたのは「ゆみさんは素直である」ということ。まっすぐで、何事も裏をかくという思考がない。質問に対してもまっすぐに受けとめてくれる。それはある意味、大切に育てられたお育ちの良さからくる血統的なものかもしれない。聡明とか頭脳明晰とか優秀な人を表現するのは色々言い方があるけ
れど、『素直さ』というのはプロになるためには、やはり必須条件だと思う。
「小さい頃から言われることの飲み込みは速かったです。ピアノって一度教えてもらったことは二度と同じ間違いを指摘されないようにするもの」
やはり厳しい訓練に耐えられるだけの素質があるのだろう。ちなみに太賀くんも、とても素直。コンピュータゲームを与えていないから…だけでなく、絶対にDNAやら血筋があると思うのだが…。ちなみに愚息は「ママ、だいすき」などと口が裂けても言わないし、「くそばばぁ!」などと反抗的な態度も盛りで、私は年中怒って頭に湯気がたっている。こんな子でもクラシック音楽を聴かせることで、何とか素直に変わ
るものなのだろうか?
「クラシックはリラックスや脳への良い刺激を誘います。素晴らしい音楽を聴くこと
によって、感性の発達を促すためにもクラシック音楽は最適だと思います。科学的な実験からもクラシック音楽を聴くことによって、脳全体の広い帯域にアルファ波が広がって、結果としてリラックス、またリフレッシュできるのです」
そのためには、音楽を聴く環境が必要。自分で楽器を演奏できない我が家の場合は、まずはテレビを消してステレオを活用することが先決だろう。おもしろい見解が著書に書かれている。
右脳は特に乳幼児期に音楽によって発達させられることがわかっています。逆にあまり小さいうちに幼稚園「お受験」などで左脳ばかりを鍛えてしまうのは右脳の発達の時期を邪魔してしまうそうです。そして、左右脳のバランスはおよそ6歳でとれてくるとのこと。この右脳左脳の観点からも6歳までにクラシック音楽を聴くことが大きな意味を持つのです。(P84より抜粋)
試しに今日からご飯の時間にはクラシックを流してみようか?!いつもの納豆ご飯が、
ちょっと高級に?晩酌のビールをワインに変えてみたくなるかもしれない。愚息が良い子に変身するかは怪しいところだが、そういう日々の小さな喜びを重ねることで、
気分がリッチになるのは何ともうれしい。インタビューで訪問するや否や、『ゲームやっていい?』と聞いてきた愚息も、帰る頃には岡崎家の超アナログ(でもとても上等な)組み立てて遊ぶボールころがしで、あれこれ創作していた。環境とは自然に行動する、そういうものかもしれない。 |
---「岡崎コンセルバトワール」で
心がけてきたレッスン |
演奏家として多忙を極める岡崎さんは自分で教える時間が無いため、代わりに優秀な
ピアノ講師を採用して教室を開いた。それは多くの方から「いい先生を紹介してほし
い」というニーズがあったから。
「教室のモットーとしたのが、『生徒の喜びは自分の喜び』ということ。私が作った
講師用マニュアルには『ニコニコ笑顔、誉めます、聴きます、弾きます』などの言葉を入れています。つまり、ネガティブになるような言葉は使わないで指導するように心がけています」
何やら育児にも通じることのようにも思う。「誉める子育て」をしたいと願っても、誉めた次には投げ飛ばすしたくなるような言動があるのが凡人の子どもなのだが…。
私も6歳になってすぐにピアノを習い始めた。小学校6年間を通じてピアノの先生を何人かに付いたが、どれも嫌な想い出しかない。それは、先生という指導者のせいだったのかわからない。そもそも私に素質がなかったから無理があったことも否めない。
しかし、岡崎さん曰く 「指導者は大切な存在。それで子どもが好きになるか嫌いになるか決まります。私はこの教室にくる生徒さんを決してプロに育てようとは思いません。プロとしてやって
いくには苦しみを伴う練習やコンクールを潜り抜けなければならないのです。それよ
りも将来、一人の社会人として仕事をもち、しかも音楽を楽しめるということが私の理想なのです」
ピアニストとして頂点を極めた人だけが言える重みのある言葉とその想い。それはプロとしての岡崎さんというよりも、母親の立場からピアノを愛する子どもたちへ向けた力強いエールのようにも聞こえる。
一昔前のピアニストといえばダバダ〜のCMに登場していた中村紘子さんのように、
ピアノを追求するために人生を捧げているイメージが強かった。それも確かに天才ピアニストとしての、ひとつの生き方だろうが、私は凡人の生き方を許容してくれる音楽のほうが好きだ。
ピアニスト岡崎ゆみの人間的魅力を交えた音楽は、これからまだ多くの人を魅了するに違いない。
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